ロシア・オペラの不朽の名作、チャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』〜あらすじや曲を紹介〜
タイトル画像出典:プーシキンの小説『エフゲニー・オネーギン』、タチアーナとオネーギンのイラスト(エレナ・サモキッシュ・スドコフスカヤ画、1908年)、出典:Wikimedia Commons
ロシアの大作曲家、ピョートル・チャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』は、世界中で上演機会が多いロシア・オペラの代表作です。
チャイコフスキーの3大バレエ、『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』、『眠れる森の美女』は誰もが知っていますが、オペラは知らない人が多いのではないでしょうか。
オペラ『エフゲニー・オネーギン』は、一度聴いたら忘れられないチャイコフスキーの魅力的な音楽があふれ、まるで歌曲の世界のような情緒性が広がっています。
新国立劇場で1月24日(水)~2月3日(土)の4日間、オペラ『エフゲニー・オネーギン』が公演されます!
1.オペラ『エフゲニー・オネーギン』とは?~プーシキンの名作文学~
プーシキン自身によるオネーギンの肖像、出典:Wikimedia Commons
オペラ『エフゲニー・オネーギン』は、ロシアの文豪アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)の韻文小説を基にした感動的な音楽劇です。劇的なドラマ展開や派手な舞台効果はありませんが、登場人物の心理的内面をリアルに描き出しています。
チャイコフスキーは1876年、パリでジョルジュ・ビゼー(1838-1875)のオペラ『カルメン』を見て衝撃を受けます。それは、自分たちと同じような人々の日常を扱ったドラマで、歴史物語や神話といった非日常的な題材を扱ったそれまでのオペラとは全く異なるものでした。新たなオペラの題材に身近なドラマを求めていたチャイコフスキーにとって、プーシキンの『エフゲニー・オネーギン』はうってつけのものでした。
1-1.オペラ『エフゲニー・オネーギン』の概要
オペラ『エフゲニー・オネーギン』のスコア表紙、19世紀末、出典:Wikimedia Commons
エフゲニー・オネーギン|Евгений Онегин
邦題異訳 :『エウゲニ・オネーギン』、『イェヴゲニー・オネーギン』、
『エヴゲーニイ・オネーギン』など
原作 :アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』
台本 :ピョートル・チャイコフスキー、コンスタンティン・シロフスキー
作曲 :ピョートル・チャイコフスキー
初演 :1879年3月17日、モスクワ・マールイ劇場
構成 :全3幕
上演時間 :約2時間30分
1-2.オペラ『エフゲニー・オネーギン』先読みあらすじ
プーシキンの小説『エフゲニー・オネーギン』のイラスト(エレナ・サモキッシュ・スドコフスカヤ画、1908年)、出典:Wikimedia Commons
未亡人の女地主ラーリナ夫人には、内向的なタチアーナと活発なオリガという2人の娘がいました。ある日、オリガのいいなずけのレンスキーが、友人のエフゲニー・オネーギンを連れてやってきました。タチアーナは、オネーギンを一目見るなり恋に落ちます。初恋の想いを綴った手紙をオネーギンの元へ。しかし、オネーギンはタチアーナの想いに応えられないことを告げ、さらに彼女の軽率さを諫めます。
タチアーナの命名日を祝う舞踏会。機嫌の悪いオネーギンはオリガをしつこく踊りに誘い、この舞踏会へ自分を連れてきたレンスキーに仕返しします。逆上したレンスキーはオネーギンに決闘を宣告。2人は早朝の川辺で銃を構え合い、レンスキーが倒れます。
外国での放浪生活を送っていたオネーギン。数年ぶりにロシアに戻り、サンクトペテルブルクの舞踏会に出席しました。グレーミン公爵が伴って現れたのは、魅力的な公爵夫人に変貌を遂げたタチアーナ。オネーギンは彼女に激しく惹かれます。今度はオネーギンがタチアーナに恋文を送り、我を忘れて彼女に言い寄ります。タチアーナは動揺しながらも、結婚の誓いを貫くためオネーギンを拒絶し、立ち去ります。
2.オペラ『エフゲニー・オネーギン』の登場人物
エフゲニー・オネーギン|バリトン
レンスキーの友人、インテリ貴族。
タチアーナ|ソプラノ
地主ラーリナの娘。
レンスキー|テノール
詩人、オリガの婚約者。
オリガ|コントラルト(アルト)
タチアーナの妹。
ラーリナ|メゾソプラノ
ラーリン家の女地主、タチアーナとオリガの母。
フィリピエヴナ|メゾソプラノ
ラーリン家の乳母。
グレーミン公爵|バス
タチアーナの夫。
他
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