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ロシア・オペラの不朽の名作、チャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』〜あらすじや曲を紹介〜

目次

7.『エフゲニー・オネーギン』とロシア

オペラ『エフゲニー・オネーギン』の原作は、ロシアで圧倒的人気を誇る作家プーシキンの同題の韻文小説です。プーシキンの鋭い感性は人々の共感を強く呼び起こし、ロシアのあらゆる芸術に大きな影響を与えました。特に『エフゲニー・オネーギン』は、現在でもロシアの人々に特別な思いを以て受け入れられています。

7.1.ロシアの理想としてのタチアーナ

本を読むタチアーナ(エレナ・サモキッシュ・スドコフスカヤ画)、出典:Wikimedia Commons

オペラ『エフゲニー・オネーギン』で、チャイコフスキーがタチアーナを特別な女性として描き、題名役のオネーギンよりずっと印象的な音楽をつけていることは一目瞭然です。

『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を著したロシアの文豪フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)は、プーシキンの描いたタチアーナを「ロシア女性の神聖な像」として賞賛しました。素朴で従順、貞節を貫き家庭を守る女性像は、保守的な社会で女性に求められることが多いイメージと言えます。また、タチアーナの母ラーリナ夫人が「意志に反して結婚させられたが、生活に慣れることで満足を得た」と語るように、結婚は自由恋愛ではなく家制度に基づくものだった時代をうかがわせます。
一方のオネーギンは、世慣れた厭世主義者で、いつも他人を見下しているように描かれています。しかし、プーシキンの原作では、オネーギンは他の地主たちから陰口を言われながらも、領内の農民の負担を軽くする改革を行ったと書いています。チャイコフスキーのオペラではこの部分は触れられておらず、タチアーナとの恋愛や彼の歪んだ性格が引き起こす悲劇が中心です。しかし、次項の農奴の問題と関連し、オネーギンが示した進歩的で哲学的な統治手腕は注目すべきだと思います。

7.2.19世紀ロシア社会と『エフゲニー・オネーギン』

1861年の農奴解放令の宣言を聞く農奴(ボリス・クストーディエフ画、1907年)出典:Wikimedia Commons

オペラ『エフゲニー・オネーギン』前半は農村が舞台です。
第1幕の農民の合唱は牧歌的な雰囲気ですが、「歩き回って足が痛む、野良仕事で手が痛む」と歌っています。これはプーシキンの原作にはない場面で、農民の重労働の上に成り立つ特権階級に対する風刺が潜んでいます。

チャイコフスキーがオペラ『エフゲニー・オネーギン』を作曲していた、19世紀後半のロシア。1861年に皇帝アレクサンドル2世(1818-1881)が「農奴解放令」を出してから15年以上が経過していましたが、奴隷同然の悲惨な農民の状況は何も変わっていませんでした。暴動やストライキが頻発し、音楽家を含む芸術家や知識人は、ロシアの近代化の遅れを痛烈に批判していました。チャイコフスキーも法務省勤務時代に農民の歎願処理に携わっていたため、「農奴問題」は強く意識していたものと思われます。

農奴解放令に従って領地を失い家が没落したのが、作曲家のモデスト・ムソルグスキー(1839-1881)です。ムソルグスキーは貧困に苦しみながらも、ロシア社会の矛盾を風刺した作品を多数作曲しました。

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7.3.プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』

アレクサンドル・プーシキン(オレスト・キプレンスキー、1827年画)出典:Wikimedia Commons

ロシアの文豪、アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン(1799-1837)。彼の作品は多数オペラ化されています。チャイコフスキーのオペラでは『エフゲニー・オネーギン』の他に『スペードの女王』、ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』もプーシキンの戯曲を下敷きにしたオペラです。

韻文小説『エフゲニー・オネーギン』は、日常的なロシア語を用いながらも韻律に則った長大な詩文です。現代ロシア語の礎を築いた作品と言われています。
プーシキンはこの作品に、1823年から約7年の歳月を費やしました。というのも執筆当時、プーシキンは政治的危険人物と見なされ、追放、幽閉の処分を受けたり、モスクワで監視を受けたりしていたのです。プーシキンは弱冠37歳で、妻に言い寄った義理の弟にあたる男性と決闘して命を落とします。奇しくも『エフゲニー・オネーギン』のレンスキーと同じ運命をたどりました。しかしこれは、プーシキンを危険視した貴族たちの謀略だったとされています。

プーシキンは『エフゲニー・オネーギン』の中で、各所に風刺や自論を挿入しているものの、どの登場人物にも一定の距離を保って第三者的な立場をとっています。特定の登場人物に理想的なものを示そうとしたのではなく、平均的なロシアの生活やロシア人の気質を描き、典型的な「ロシア」を示そうとしたのでした。その点で、チャイコフスキーのオペラとプーシキンの『エフゲニー・オネーギン』は、少し異なる作品ということができます。
このように、プーシキンが『エフゲニー・オネーギン』の世界に投影した「ロシア」は、ロシアの人々に広く浸透し、あらゆる思想や芸術に大きな影響を与えました。

7.4.スタニスラフスキー演出のオペラ『エフゲニー・オネーギン』

アレクセイ・イサエフ(オネーギン)、オリガ・トークミト(タチアーナ)、イーゴリ・モロゾフ(レンスキー)、ワレリー・キリヤノフ指揮、ゲリコンオペラ劇場、2017年テレビ放映

(本編、7分ごろから)

今回の新国立劇場のオペラ『エフゲニー・オネーギン』は、リアリズムを重視したスタニスラフスキー演出をモチーフとしています。

コンスタンチン・スタニスラフスキー(1863ー1938)はロシアの演劇家で、彼の演劇理論「スタニスラフスキー・システム」は、アメリカのハリウッド映画など世界の演劇界で重視されています。役柄と同様の経験や感覚を潜在意識下から呼び起こすことで役になりきる手法です。
スタニスラフスキーは、演劇で培ったスタニスラフスキー・システムをオペラにも応用しようとしました。そこで目を付けたのが、心理描写に徹したオペラ『エフゲニー・オネーギン』です。彼はこのオペラを室内劇に特化し、表情や眼の動き、身振りなどの身体表現を練り上げ、役の内面に観客の注意を引き寄せることに主眼を置きました。映画やテレビドラマに見られる繊細な心理表現を、オペラの中に取り込んだのです。

参考動画は、スタニスラフスキーの演出を踏襲して上演した『エフゲニー・オネーギン』のロシアテレビ放映です。舞台演出にもスタニスラフスキーの初演時の様子を取り入れ、独特な雰囲気の作品となっています。

8.まとめ

プーシキンの小説『エフゲニー・オネーギン』のオネーギンのイラスト(エレナ・サモキッシュ・スドコフスカヤ画)、
出典:Wikimedia Commons

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

チャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』は、ロシアの広大な自然を描いた風景画のような美しい音楽の中で、登場人物の内面を深く写し取った詩的世界が広がります。一方、ロシア的なイメージを多分に含んだオペラでもあり、ロシアの文化を理解する上で欠かせない芸術作品です。

オペラって、素晴らしい!

参考文献
「エウゲニ・オネーギン:チャイコフスキー」アッティラ・チャンパイ/ディートマル・ホラント編、園部四郎リブレット対訳、諸星和夫補訳・校訂、永橋ルミ本文訳、音楽之友社(1988年)
「スタンダード・オペラ鑑賞ブック5:フランス&ロシア・オペラ+オペレッタ-ビゼー、J・シュトラウス、チャイコフスキーほか-」音楽之友社編、音楽之友社(1999年)
「新チャイコフスキー考-没後100年によせて」森田稔著、日本放送出版協会(1993年)
「憂愁の作曲家チャイコフスキー」志鳥栄八郎著、朝日新聞社(1993年)
「作曲家別名曲解説ライブラリー8:チャイコフスキー」音楽之友社編、音楽之友社(1993年)
「チャイコーフスキイ伝:アダージョ・ラメントーソはレクイエムの響き」小松佑子著、文芸社(2017年)
「オネーギン」プーシキン著、池田健太郎訳、岩波文庫(1992年)」
「芸術におけるわが生涯 下」スタニスラフスキー著、蔵原惟人,江川卓訳、岩波書店(1983年)

神保 智 じんぼ ちえ 桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コース声楽科在学中。子どものころから合唱団で歌っていた歌好き。現在は音楽大学で大好きなオペラやドイツリートを勉強中。

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