レフ・トルストイ『クロイツェル・ソナタ』×ベートーヴェン『クロイツェル・ソナタ』 小説を彩るクラシック#15
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
『ヴァイオリンソナタ第9番』
(クロイツェル・ソナタ)
演奏会で妻とトルハチェフスキーは、ベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』を演奏しました。
この演奏にポズヌィシェフは「新しい感情、新しい可能性」が自分に開示されたように感じます。
あのソナタは恐るべき作品ですよ~略~あれはいったい何なのでしょう? 私には分かりません。音楽とはいったい何なのですか? 音楽は何をしているのか? 音楽は何のためにそのようなことをしているのか? ~略~音楽は私に我を忘れさせ、自分の本当の状態を忘れさせ、何か別の、異質な世界へと移し変えてしまうのです。
演奏会の二日後、ポズヌィシェフは仕事で郡部に旅立ちます。山積みになっていた仕事を行っていると、妻から手紙が届き、トルハチェフスキーが楽譜を持って家に現れ、合奏の誘いを受けたけど断った、という内容でした。
自分が出張に行っている間にも二人のやり取りが行われていることに、嫉妬心が燃え上がります。
『クロイツェル・ソナタ』の合奏を終えたときの幸福そうな妻の顔が浮かび、予定していた仕事と会議を切り上げ、錯乱状態で家に帰ります。
深夜一時、家に戻ると、玄関ホールにトルハチェフスキーのコートがかかっていました。ポズヌィシェフの怒りと憎しみは爆発し、ナイフを持って二人のいる居間に入り、凶行に及びます。トルハチェフスキーは逃げ出し、左の脇腹にナイフを突き刺された妻は呪詛の言葉を絞り出し、亡くなりました。
ポズヌィシェフは刑務所に入りますが、裁判では、妻の裏切りによるもので、汚された名誉のための殺人である、と結論が出され無罪となります。
独白を終えたポズヌィシェフは、長い沈黙のあと「私」の向かいの席ですすり上げ、身を震わせます。物語のクライマックスのシーンなのですが、ポズヌィシェフがあまりにも哀れに──もはや失われた人間のように──描かれます。
ポズヌィシェフは、独白で、欲情は下劣、嫉妬は人生を破壊するものと語るわけですが、ヴァイオリンとピアノのシーンは説明のつかない神秘として語られるのが印象的です。
私には分かりません。
音楽とはいったい何なのですか?
音楽は何をしているのか?
音楽は何のためにそのようなことをしているのか?
『クロイツェル・ソナタ』の演奏によって、妻は幸福に輝き、ポズヌィシェフは、自分を失ってしまいます。
トルストイは「愛」と「性」についてを、倫理や宗教といったものから離れて描きました。性と倫理の関係論はトルストイの追い求めたテーマの一つでしたが、『クロイツェル・ソナタ』では、ポズヌィシェフという哀れな男を通して「性愛」の救いのなさを描いています。
そんな小説のテーマとして選ばれた曲がベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』というのが興味深いです。
華麗で圧倒的な荒々しさをもつこのソナタには、愛の神聖と性の魔性が宿っているように感じます。
まさにそれは、自分の本当の状態を忘れさせ、何か別の、異質な世界へと移し変えてしまうと語るように。
参考文献
レフ・トルストイ(2006年)『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』望月哲男訳 光文社古典新訳文庫
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