• HOME
  • おすすめオペラ
  • 極上のロマンティック・オペラ、プッチーニ『ラ・ボエーム』〜あらすじや曲を紹介〜

極上のロマンティック・オペラ、プッチーニ『ラ・ボエーム』〜あらすじや曲を紹介〜

7.オペラ『ラ・ボエーム』と原作小説『ボヘミアン生活の情景』
〜19世紀のフランスとミミという女性像〜

オペラ『ラ・ボエーム』は分かりやすいストーリーで音楽も非常に美しく、予備知識なしでも十分に楽しめる作品です。一方、オペラの随所に、現実的な当時の社会状況も見え隠れしています。

オペラへの理解をさらに深めるために、原作小説や当時のパリの社会状況などについてご紹介します。

7-1.原作小説『ボヘミアン生活の情景』

パリで出版された小説『ボヘミアン生活の情景』の表紙
出典:Wikimedia Commons

オペラ『ラ・ボエーム』は、フランスの作家アンリ・ミュルジェール(1822-1861)の小説『ボヘミアン生活の情景』(1851年出版)を基にしています。原作は23章の短編小説集ですが、ジャコーザとイッリカの台本作家コンビが抜粋して感動的な一つの物語に紡ぎあげました。

しかし、オペラ『ラ・ボエーム』と原作小説に登場するミミは、似て非なる人物。
原作のミミは、天使のような見た目とは裏腹に利己的で気が多く、すぐにロドルフォに飽きて金持ちの男性と浮気します。

子爵の愛人に収まっていたある日、雑誌の中にミミとの思い出を描いたロドルフォの詩を見つけました。その詩を暗誦して一日中口にしたので、機嫌を損ねた子爵に追い出されてしまいます。

極貧生活に陥ったミミは肺結核が悪化。死を悟ってロドルフォに会い行きますが、ロドルフォは深刻な病状を察して慈善病院に入院させます。そしてミミは、ロドルフォが見舞いに来た翌日に、病院で一人息を引き取るのでした。

原作のミミという女性はこのように描かれ、ストーリーもオペラの筋書きとは異なります。オペラ『ラ・ボエーム』の筋書きの土台となっているのは、彫刻家ジャックとお針子フランシーヌの純愛物語の章です(18章「フランシーヌのマフ」)。

一説によると、原作小説を読んだプッチーニが、自分と同じ名前の青年(ジャックはイタリア語でジャコモ)と理想的な女性フランシーヌの悲恋を描いたこの章に魅かれたために、オペラ化を決めたとか。


原作小説『ラ・ボエーム(ボヘミアン生活の情景)』紹介記事はこちらから↓

7-2.プッチーニの理想の女性像「ミミ」

初演時のミミの衣装デザイン
アドルフ・ホーヘンシュタイン画
出典:Wikimedia Commons


プッチーニは、オペラの中で理想化した「ミミ」をこよなく愛しました。

彼女はプッチーニが、「私のミミ、愛らしいミミ、かわいそうなミミ」というほど彼のお気に入りの娘と化したが、小説の中のルイーズ、ジュリエット、シドニー、ウージェニー及びフランシーヌなどが、適宜美化材料となってできたプッチーニ製のお針子である。

『みやざわじゆういちオペラシリーズ1 プッチーニのすべて』 宮澤縦一著、芸術現代社、1990年7月出版

オペラ『ラ・ボエーム』の台本は原作との相違が多いこともあり、台本化の作業は難航しました。

プッチーニは2人の台本作家にたびたび注文を付けています。しかし、そのおかげで大変魅力的なヒロイン「ミミ」が誕生。そして、一途で愛情深い「ミミ」の女性像は、『蝶々夫人』や『トゥーランドット』のリューなど、プッチーニのその後のオペラにも引き継がれました。

実際は、原作小説の奔放で移り気なミミの方が、当時の庶民の実態をよく表していたようです。しかし、プッチーニの「ミミ」のイメージは当時の人々に広く受け入れられ、初演直後からイタリア中の劇場で上演されました。

ちなみに初演は、当時28歳のアルトゥーロ・トスカニーニ(1867- 1957)が指揮をしています。

プッチーニ(左)とトスカニーニ(右)1910年頃
出典:Wikimedia Commons

7-3.「ボエーム」と「お針子」

左:初演時のお針子の衣装デザイン,アドルフ・ホーヘンシュタイン画
右:テーブルにつく高級娼婦,Zygmunt Andrychiewicz画
出典:Wikimedia Commons

このオペラのタイトルになっている「ボエーム」とは、定職に就かず自由な生き方をする人々を指す「ボヘミアン」のフランス語読みで、19世紀には芸術家の若者たちのことを指すようになりました。オペラ『ラ・ボエーム』の中で共同生活をする男性4人も、詩人、画家、音楽家、哲学者です。

ミュルジェールは小説『ボヘミアン生活の情景』の付録の中で「ボエーム」の実態を紹介しています。ミュルジェールが生きた19世紀、新聞・雑誌などのジャーナリズムが発達し、才能さえあれば自分一人の力で成功し出世することも夢ではありませんでした。

芸術家の若者たちの憧れは、ヨーロッパ随一の芸術都市パリ。成功を夢見た多くの若者がパリに集まり、貧しいながらも明るくたくましく生きていました。しかし、貧しく無名のまま死んでいく者が大半だったのです。

一方、オペラ『ラ・ボエーム』の女性の職業は・・・。ミミはお針子、ムゼッタは議員の愛人でした。お針子は下層階級の労働者です。

原作小説『ボヘミアン生活の情景』は、お針子のフランシーヌについて次のように書いています。

ジャックは隣が義理の母親の虐(いび)りに耐えかねて家を出た、しがないお針子だと聞いていた。フランシーヌは想像を絶する倹約をして何とか家計の帳尻を合わせていた。

『ラ・ボエーム』アンリ・ミュルジェール著、辻村永樹訳、光文社、2019年12月出版

これを見ると、とても一人で自立できる職業ではないことが分かります。実際には、関係を持った男性の庇護を受けながら生活するお針子がほとんどでした。

彼女たちはよく灰色の服装をしていたことから「グリゼット」呼ばれ、この呼称は次第に、小遣い稼ぎに身体を売る下層階級の女性を指すようになりました。また、金持ちを相手にする高級娼婦が「クルチザンヌ」です。ムゼッタは「クルチザンヌ」と「グリゼット」を混ぜ合わせたような存在と言えます。

パリにやって来た地方の青年とお針子の恋は定番だったようです。しかし、家柄や身分の問題で所詮結婚は許されません。捨てられたお針子は妾として男性に囲われたり、街に立つ娼婦になったりする者も少なくありませんでした。

このような19世紀フランスのボエーム、お針子、半社交界(ドゥミ・モンド)を背景とした物語は、同時代のフランス文学における主題として扱われはじめると、度々戯曲化、オペラ作品化されました。その文脈は後のヴェリズモ文学、オペラの流れへと繋がります。


8.まとめ

オペラ『ラ・ボエーム』制作のため滞在したヴィラで、進捗状況を壁に書き込んだプッチーニの書き込み

Claudio Minghi, CC BY-SA 4.0

出典:Wikimedia Commons

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

オペラ『ラ・ボエーム』は、オペラ初心者でも存分に楽しめる作品です。19世紀のパリを写した美しい舞台、「プッチーニ節」と言われる抒情的で甘美なメロディ。ロマンティックなオペラの世界に誘われることでしょう!

オペラって、素晴らしい!

次のページ:9.関連作品

神保 智 じんぼ ちえ 桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コース声楽科在学中。子どものころから合唱団で歌っていた歌好き。現在は音楽大学で大好きなオペラやドイツリートを勉強中。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。