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音楽大学卒業後の、声楽家の就職先・仕事って?

目次

1.狭き門のコンクールで結果を出して声楽家として活躍して行きたい方に

国内のコンクールに挑もう!

日本国内では、小さなものから大きなものまで様々なコンクールがあります。今回は、その中でも特に有名で、数々の有名歌手を輩出したコンクールを3つご紹介します。

日本音楽コンクール声楽部門
日本音楽コンクール(通称:日本音コン・音コン)は、毎日新聞社とNHKが主催するコンクールです。日本で最も歴史のあるコンクールで楽壇最高の登竜門として知られています。第1回の開催は1932年です。例年参加規定書を購入する必要がありましたが、今年からウェブ申し込みになりました。

 参加資格:国籍不問、満20歳以上満35歳以下 開催期間9月中旬~10月

日伊声楽コンコルソ
次世代の日本オペラ界を担う人材発掘を目指して行なわれる、国内有数の声楽コンクールです。 1964年、日伊音楽協会の設立とともに第1回が開催され、第5回以降、読売新聞社が主催に加わりました。 

イタリアのオペラ・アリア並びに歌曲のみで競われ、他の大多数のコンクールが日本歌曲も含めた複数の原語による課題曲を設定しているのに対し、あくまでイタリア・オペラに特化した極めて珍しいコンクールです。

参加資格:満18歳以上の日本国籍を有する者及び日本の在留資格を持つ外国人。

イタリア声楽コンコルソ
「イタリア声楽コンコルソ」は、創始者日本イタリア協会初代会長中川牧三が永年をかけて 培ったイタリア音楽界との「信用と絆」を生かし、トップレベルの声楽の技術を日本に根付 かせるために活動を重ねて参りました。音楽家としての正しい「導」を常に意識し、音楽を 愛し本物を追求する精神を重んじ、世界に通じるレベルに育てることを目標にしています。※HPより

参加資格:ミラノ部門「27歳まで」 シエナ部門「37歳まで」

     ロイヤルティガー大賞部門「国際部門・年齢不問」

コンクールに入賞し、その後国内外で活躍している声楽家は?

コンクールに入賞すると、その後の歌手人生が大きく変わります。上に挙げたコンクール出身で、現在国内外で活躍している歌手をご紹介しましょう。

松本美和子:ソプラノ

第1回日伊声楽コンコルソ特別賞受賞。
第34回日本音楽コンクール声楽部門第1位
ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院を首席名誉賞受賞で卒業。
ローマ国立歌劇場で「カルメン」のミカエラでデビュー
世界各国の主要オペラ劇場に出演。共演した歌手も、ヘルマン・プライ、アルフレッド・クラウス、ホセ・カレーラス、ルッジェーロ・ライモンディ、ホアン・ポンス、カーティア・リッチャレッリ、ゲーナ・ディミトローヴァ等に及ぶ。
2006年 -紫綬褒章を授与。
2012年 – 旭日小綬章を叙勲。
現在はリサイタルの合間を縫って母校である武蔵野音楽大学の特任教授として後進の指導にあたっている。
HP:https://miwakomatsumoto.com/profile/

林康子:ソプラノ

1968年日伊声楽コンコルソ第1位
1970年モンティキァーリ国際コンクール第1位。
パルマ国際オペラ歌手コンクール第1位、
1971年ロニーゴ国際コンクール第1位、
1972年イタリア国営放送ロッシーニ生誕180周年記念コンクール第1位
日本人として初めてオペラの殿堂ミラノ・スカラ座で『蝶々夫人』の主役を歌った
2006年11月紫綬褒章受章
2014年11月旭日小綬章受章

出口正子:ソプラノ

1974年第43回日本音楽コンクール第1位
1974年第10回日伊声楽コンコルソ第1位
1981年(昭和56年)テアトロ・ナツィオナーレ(ミラノ)にて、『ルチア』タイトルロールでイタリア・デビュー
ベルカント・ オペラを中心としたレパートリーでイタリア、フランス各地の歌劇場で活躍。
1983年(昭和58年)テアトロ・フィラルモニコ(ヴェローナ)にて『椿姫』に出演。
1985年(昭和60年)ドニゼッティ・フェスティヴァル開幕公演で『ルチア』に出演
HP: https://fioremasako.com/profile.html

山路芳久:テノール

ミラノ・スカラ座のオーディションに合格した最初の日本人男性歌手。ウィーン国立歌劇場で主役のテノール役を歌った最初の日本人歌手でもある。1988年12月心筋梗塞で急逝した。享年38。
1976年 第7回イタリア声楽コンコルソ・テノール特賞
1976年 第12回日伊声楽コンコルソ第1位
1976年 第45回日本音楽コンクール声楽の部第3位
1976年度 海外派遣コンクール特賞
1978年 レッジョ・エミリア国際音楽コンクール第1位
1978年 ベミアミーノ・ジーリ国際コンクール第2位
1978年 エンナ国際音楽コンクール第1位
1978年 マリオ・デル・モナコ国際音楽コンクール第1位
1978年 ヴィオッティ国際音楽コンクール第1位
1979年 ヴェルディ国際声楽コンクール第2位
1984年 ヴェルディ国際声楽コンクール第2位
1985年度 第13回ジロー・オペラ賞大賞
1977年(昭和52年)にイタリア政府給費留学生としてローマ サンタ・チェチーリア国立アカデミアに進学。
1978年(昭和53年)ミラノ・スカラ座研究所に入所
スカラ座のオーディションに日本人男性として初めて合格し
1979年(昭和54年)にロッシーニ『モーゼ』での端役ながらスカラ座にデビューしている。
ウィーン国立歌劇場の専属歌手となり、ヴェルディ『椿姫』アルフレードやドニゼッティ『愛の妙薬』ネモリーノを歌った。
日本人テノールとしては世界的な著名歌劇場での専属契約は初となり、日本声楽界での快挙。
1982年(昭和57年)からはミュンヘン国立歌劇場と専属契約。
1988年(昭和63年)心筋梗塞により38歳の若さで没す。その唐突な死は日本声楽界にとって衝撃となった。

市原多朗:テノール

日本を代表するテノール歌手であり、主にイタリアオペラを中心としたレパートリーを持っている。正統派ベルカントの美声と表現力で、世界で活躍した

1979年、第48回日本音楽コンクール第1位、
第15回日伊声楽コンコルソ第1位。
1981年
イタリア:第21回ヴェルディ国際声楽コンクール(ブッセート)にて第2位(1位無し)とAMAL賞(ミラノ賞)を受賞。
スペイン:第19回フランシコ・ヴィニャス国際コンクール(バルセロナ)にて第1位大賞、最優秀テノール賞(プラシド・ドミンゴ賞)、ヴェルディ賞(モンセラト・カバリエ賞)の3賞を受賞。
1982年
ポルトガル:サン・カルロス国立歌劇場(リスボン)にてプッチーニ『トゥーランドット』のカラフ役にて世界のオペラ界にデビュー。
1984年
オーストリア:ザルツブルク音楽祭にてヴェルディ『マクベス』マルコム役を7公演、日本人歌手として初出演する
その後パリ・オペラ座やニューヨーク・メトロポリタン歌劇場など世界中で活躍された。
1986年
ジロー・オペラ賞受賞
イタリア:トリノ王立歌劇場にてヴェルディ『仮面舞踏会』のリッカルド役で6公演出演し、イタリア・デビューを飾る。
イタリア:サン・カルロ劇場(ナポリ)にてヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』のアドルノ役で7公演に出演する。イタリアでFM全国中継される。
1988年
イタリア:スカラ座(ミラノ)にてヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』のアドルノ役で出演する。
HP:https://www.amati-tokyo.com/artist/singer/post_75.php#discography

中丸三千繪

「マリア・カラス国際声楽コンクール」日本人初の優勝者
1988年  第3回「ルチアーノ・パヴァロッティ・コンクール」優勝。「スカラ座」と出演契約を結ぶ。
1990年  「マリア・カラス国際声楽コンクール」優勝 イタリア人以外で史上初。“イタリアの国宝”と評された20世紀後半を代表するオペラ歌手の1人「ルチアーノ・パヴァロッティ」と『愛の妙薬』で共演し、アメリカデビュー。

谷 友博:バリトン

第48回全日本学生音楽コンクール第1位。
第35回日伊声楽コンコルソ第1位。
第68回日本音楽コンクール声楽部門第1位、併せて特別賞受賞。
第4回ピストイア・コンクール・オペラ部門第1位(イタリア)。
第5回リニャーノ国際声楽コンクール第2位(イタリア)。
1995年、研鑽の傍らスロヴェニアのマリボール国立歌劇場で「ランメルモールのルチア」エンリーコ役、「セヴィリアの理髪師」フィガロ役に出演。
ミラノ、ピストイアなどイタリア各地で「セヴィリアの理髪師」「愛の妙薬」「ドン・パスクアーレ」「椿姫」「カヴァレリア・ルスティカーナ」など、いずれも主要役で出演
日本では1999年、藤原歌劇団に「ラ・ボエーム」ショナール役で本格的オペラデビュー。

木下美穂子:ソプラノ

同年で日本のコンクールを三冠制覇した唯一の歌手。ニューヨーク在住の実力派ソプラノ。
2001年 第70回日本音楽コンクール声楽部門第1位。松下賞。
    第37回日伊声楽コンコルソ第1位。
    第32回イタリア声楽コンコルソ・シエナ大賞。
2002年 サンタ・マルゲリータ市国際声楽コンクール第1位。
2007年 リチーア・アルバネーゼ・プッチーニ国際声楽コンクールで第1位。
「蝶々夫人」役で世界の注目を集める。ヨーロッパ・アメリカを中心に現役で活躍中。
HP:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E7%BE%8E%E7%A9%82%E5%AD%90

佐藤美枝子:ソプラノ

第11回チャイコフスキー国際音楽コンクール声楽部門で日本人初の第1位を獲得。世界の注目を集める。
第64回日本音楽コンクール声楽部門第1位、
1995年イタリアにて「リゴレット」のジルダでオペラデビュー以後、数多くのオペラに出演
HP:https://www.japanarts.co.jp/artist/miekosato/

砂川涼子:ソプラノ

可憐な舞台姿と聴くものの心を震わせる歌声で高い人気を誇るソプラノ歌手。
1998年 第34回日伊声楽コンコルソ優勝
2000年 第69回日本音楽コンクール第1位
2006年 第12回リッカルド・ザンドナイ国際声楽コンクールでザンドナイ賞受賞
2000年新国立劇場『オルフェオとエウリディーチェ』タイトルロールでオペラデビュー。
HP: https://www.amati-tokyo.com/artist/singer/post_69.php

中島康晴:テノール

1999年 – 第2回フランコ・コレルリ国際コンクール入賞
2000年 – 第36回日伊声楽コンコルソ優勝
2000年 – 第31回イタリア声楽コンコルソミラノ大賞
2000年 – サンレモ国際コンクール第2位
2001年 – フェルッチォ・タリアビーニ国際コンクール第3位 最優秀テノール賞
ミラノのヴェルディ国立音楽院へ留学、スカラ座ソリストコースで研鑚を積みディプロマを取得。
現在はミラノ在住。
スカラ座などイタリアの主要歌劇場を中心に活躍している。

しかしコンクール入賞は超狭き門!その道のりは・・・

そもそも、全くの無名の歌手が、突然入賞!という話を聞いたことがありますか?だいたいどのコンクールも下馬評があり、この人が来るだろうという予想が立てられています。その人が有名な先生のお弟子さんであることだったり、関係者の中で名前を広めてもらっていたりと、水面下の何かしらの動きによって予想は立てられています。とあるコンクールでは、審査員の先生と事前に顔見知りになっておくと優位であるという話まで流れていると噂されているほど。また有名な先生にレッスンしてもらうためにはそれなりのレッスン料も必要です。学生や、学生を卒業したばかりにそのレッスン料を工面するのはなかなか厳しい話ですよね。卒業してもなお、親から仕送りをしてもらったり、関係者から支援をしてもらったりと、お願いをしてレッスン料を出してもらっている人も少なくありません。そしてそこまでしても、入賞できる人は本当にごくわずかなのです。

2.音楽団体で会員となり、歌って行きたい方に

有名団体の会員になろう!

日本で活躍する代表的な団体として、二期会、藤原歌劇団、劇団四季が挙げられます。声楽を志す人なら誰しもが知っている有名な団体です。声楽家のプロフィールでも、「二期会会員」や「藤原歌劇団所属」と記載されているのをよく目にしますよね。しかし簡単に会員になれるわけではありません。では、それぞれの会員になるにはどうしたら良いのでしょうか?

二期会
二期会オペラ研究所に入学し、マスタークラスを修了した人の中から、認められた人のみ二期会会員または準会員に推薦される。研修期間は1年~3年。
・オペラ研究所
受験料:30,000円~40,000円
年間授業料:約60万円

藤原歌劇団
研究生となり、1~2年の研修を経て修了試験に合格すると、会員に推薦される。またはオーディションに合格すると会員になれる。
研究生の場合
年間費用:54万円(入所金、授業料含む)
オーディションの場合
審査料:5,000円~20,000円
オーディションに合格した場合も年会費が必要(30,000円~40,000円)

劇団四季
研究所に入所し、1年間のレッスンを受講した後、最終試験に合格すると正式な劇団員となる。入所金・レッスン料は不要だが、月~土まで毎日朝から晩までレッスンがあるため、他の仕事や学業との掛け持ちは不可。
または即戦力オーディションに合格するとすぐに舞台に上がれるが、合格する率は極めて低い。

晴れて会員になれた!しかし実情は…?

研究所やオーディションを経て晴れて正式な会員となれたあなた!!……しかし、そこから順風満帆な舞台人生が待っているとは言いきれません。

会員になれたからといって、毎月決まったお給料が支払われるわけではありませんし、必ずしも全ての公演の出演が保証されているわけではないのです。公演ごとにオーディションがあり、出演できなければギャラはゼロ。サラリーマンをしながらたまに舞台に立つ人、音楽教室の講師や個人レッスンと掛け持ちをしている人がほとんどというのが実情です。

さらに、舞台に立つ機会がなくても、会員であるからには年会費を納めなければなりません。年会費はその内容に応じますが数万円〜十万円程度と、決して安い金額ではないのです。

会員になるメリットは「肩書きがつく」のみ?

音楽大学を卒業した後、各研究所に入所して授業料を納め、数年の厳しい研修を経て会員になれたというのに、表舞台でバリバリ活躍できるのは、実際はほんのひと握り。それでもなぜこんなに会員が多いのでしょうか?それは「○○会の会員である」という肩書きがつくからに他ならないでしょう。実際にはその団体の公演に出演する機会はほとんどなく、年会費を払ってその団体所属であることを名乗らせてもらっている、というのが大多数のようです。とはいえ国内で名のある「〇〇所属の会員」という団体の肩書があれば、対外的な印象もよくなりますので「肩書き」を得ることは大きなメリットと言えるでしょう。

3.フリーで音楽活動を続けたい方に

人脈を生かして、オペラ・コンサート出演、他の仕事と併用していく

卒業後の仕事として多いのは、先輩や友人などの人脈を生かして、自主公演のオペラやコンサートに出演しながら、他の仕事と併用していくという人です。他の仕事というのは、音楽教室や個人レッスンの講師、また音楽に全く関係のない仕事をしながら、休日に音楽の仕事を、という人も少なくありません。少数ではありますが、大学卒業後、修士課程や博士課程に進み、そのまま大学で講師になるという人もいます。

現在ミュージカル界の第一線で活躍している歌手の多くは、音大の声楽科出身です。クラシックで培った確かな実力があるので、ミュージカルの世界で花開く人も少なくありません。

国内のミュージカルで言えば、先に挙げた劇団四季の他、宝塚歌劇団や東宝ミュージカルなどが有名です。しかし、この舞台に立つためにはかなりの条件をクリアしなければなりません。特に有名な舞台では、オーディション情報が一般には公開されず、芸能プロダクションにのみ送られることが多いからです。無所属でフリーの歌手がいきなりレ・ミゼラブルのオーディションに合格!というのは非現実的と言って良いでしょう。それでも何度もオーディションを経験し、書類やデモ音源が揃ってくれば、いつでも色んなオーディションにトライでき、経験値や認知度を上げることはできるかもしれませんね。

ポップスの歌唱が出来るとボーカルスクールの講師が出来る

クラシックだけでなくポップスの歌唱にも自信があるという人は、指導力があればヴォーカルスクールの講師になるという道もあります。

全国に教室を展開しているヤマハミュージックスクールは、年に2回、講師の募集をしています。ボーカル科の試験では、ポップスの課題曲と自由曲、その他に初見演奏、筆記試験(楽典、呼吸法の種類、コーラス作成、コードネームなど)、作文、面接といった試験が課されます。試験に合格した後は研修期間を経て、春または秋から講師として指導していくことができるようです。

同じく全国に教室を展開しているsheerミュージックスクールは、明確な募集条件はなく、音大を卒業していない人も多く講師として活躍しています。ただ、実技やペーパーテスト、面接など厳しい審査を通過し、その後も約300時間にも及ぶ研修などを経て、晴れて講師となるようです。

都内で数多くのミュージシャンを育成・輩出しているミュージックスクールWODDではアルバイトという形で時給1500円~で単発の講師を募集しています。初めての方は、まず一コマから講師としての経験を積んでいくというのも一つの方法ですね。

フリーの音楽家だけで生活できる…?

音楽関係の仕事はたくさんありますが、それだけで生計を立てている人というのは、実はごくわずかです。自分で演奏会を企画したり、お弟子さんをとって講師をしたりと、活躍の場はさまざまですが、それと平行して音楽以外の仕事を掛け持ちしている人も多いのが現実。音楽だけで生活できるようになるには、それなりの年数と経験、人脈が必要となってくるのです。

4.社会への寄与意識を持ち、音楽の仕事をしたい方に

音大での勉強、経験を生かし社会貢献活動をしたい方は、「NPO法人音楽で日本の笑顔を」

オペラ歌手の故中島啓江が立ち上げた法人で、1都6県にある300以上のコーラス団体スマイル合唱団」「青春ポップス合唱団」を支援しています。各地域の合唱サークルを作り、その後の支援活動を行い住民の健全交流を促し、生涯学習、高齢化社会での生き甲斐づくりに寄与しています。また、音楽家達の雇用を促進し、コンサートなどの公演を行い、文化を育む活動も行っているのが特徴です。被災地では心の復興の為に定期的に合唱活動も行っています。

現在約30名ほどの音楽家指導員が活躍中で、声楽専攻だけでなく、ピアノ・楽器・作曲・指揮など、さまざまな専攻の指導員が合唱指導にあたっています。

「NPO法人音楽で日本の笑顔を」には、常勤・非常勤がある

合唱指導員として、各地域の活動に指導に行くのが主な仕事内容ですが、常勤指導員になると事務局内での内勤業務も行うことになります。
・常勤指導員
月給:200,000円~(フルタイム)
賞与(年2回)・昇給(年1回)有
〈給与例〉給与(賞与含む)+音楽活動=400万円/年
・非常勤指導員
1回1.5時間の合唱指導につき4,000~5,000円(1日2回がセット)
※コンサート出演の際は別途ギャランティーの支給あり

合唱指導の他、コンサート出演の機会も多数!やりがいを感じながら確かな演奏経験も積むことができる

毎日様々な地域の合唱団に行き、合唱団員さんと音楽を通じた交流が持てるだけでも、音楽家として非常にやりがいが感じられることでしょう。それだけでなく、年に数回のコンサートに出演することができ、確かな演奏経験も積むことができます。合唱団の応援団長には安田祥子さんが就任されており、同じステージに立って演奏する機会もあるそうですよ。音楽を通じて社会貢献活動もでき、また演奏家としてもレベルアップしていける、それがNPO法人音楽で日本の笑顔をの職員になる最大のメリットですね。

【まとめ】

音大卒、在学中の方々、いかがでしたか?

ご自身の音楽の知識、経験を生かすことへの参考になれば幸いです。 音楽に限らず、演劇や他の芸術、エンターテインメントで仕事ができる環境が、もっと大きく育まれていくことが、文化的な社会につながると信じております。

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