バレエの名作『白鳥の湖』を徹底解説!「初演失敗説」や演出の違いについても深掘りしました
4. バレエ『白鳥の湖』の振付師・演出家ごとの違い
『白鳥の湖』はバレエの代表作ともいえる大作です。
1877年の初演以来、多くの振付家がさまざまな演出を生み出しています。
ここでは『白鳥の湖』で代表的な演出をいくつかご紹介します。
4.1 【初演】レイジンゲル版(ライジンガー版とも)
1877年の初演を振り付けたのは、レイジンゲルです。
ボリショイ劇場にて上演されましたが、先述のとおり、主演予定のダンサーの解任なども相まって失敗作に終わったと言われています。
主演キャストの一人が自分の見せ場を増やそうと、作曲家のレオン・ミンクスに「黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥ」の曲を作曲させて追加しようとしましたが、それを知ったチャイコフスキーが猛反対し、自ら新曲を作って挿入したというエピソードが有名です。
チャイコフスキーが作った新曲は、後ほどご紹介するブルメイステル版で一部使用されているほか、ジョージ・バランシン振付の『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』で全曲が使われています。
4.2 【改定初演】プティパ=イワノフ版
私たちが知る『白鳥の湖』は、プティパ=イワノフ版を元にしています。
1893年にチャイコフスキーが急逝すると、その翌年、チャイコフスキーの追悼公演のために第1幕(湖のほとりでオデットと王子が出会う場面)が抜粋上演されることになりました。
この抜粋上演が好評だったため、全幕上演に向けた動きが始まったのです。
全幕上演にあたって振付を担当したのは、レフ・イワノフと彼の師であるマリウス・プティパでした。
チャイコフスキーが作曲した原曲も、一部削除や順番の入れ替えなどがおこなわれ、現在私たちが知る『白鳥の湖』の形になりました。
また、このときに第3幕では、オディールが連続で32回転をする「グラン・フェッテ」が披露され、賞賛を浴びました。
4.3 ゴルスキー版
ボリショイ劇場のバレエマスター(ダンサーの指導をする役職の人)であったアレクサンドル・ゴルスキーは、1901年から1912年、1920年、1922年の4回に渡り演出を行いました。
特筆すべきは、1920年版です。
ラストシーンで、オデットとジークフリート王子が悪魔ロットバルトを倒し、命を落とさずに結ばれるというハッピーエンドを採用したのです。
このゴルスキー版は、1877年の初演以降、初めてハッピーエンドが採用された演出でもあります。
また、近年の作品ではほとんどの演出に出てくる道化を登場させたり、一人二役が通例であったオデットとオディールを別々のダンサーが踊ったりする新たな試みも見られました。
4.4 ブルメイステル版
1953年に上演されたブルメイステル版は、音楽や全体の構成に特徴がある演出です。
ブルメイステル版では、なるべく楽曲の構成を1877年の初演に近づけようとされています。
そのため、第3幕の黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥでは、チャイコフスキーが作曲した原曲が使われています。
また、プロローグとエピローグを付け、プロローグではオデットが白鳥に変えられるシーンを、エピローグでオデットが人間に戻るシーンを描くことで物語をより分かりやすくする工夫も盛り込まれています。
第3幕の舞踏会の場面では、悪魔ロットバルトの手下として各国の踊りが踊られるのも特徴です。
ほかの演出では、各国の踊りは単なる宴の踊りに位置づけられているため、大きな違いといえるでしょう。
4.5 ヌレエフ版
1964年に上演されたルドルフ・ヌレエフ版の『白鳥の湖』は、ジークフリート王子に焦点が当てられた構成が特徴的です。
舞台は王子の夢の中から始まります。夢の中で美しい乙女(オデット)が悪魔(王子の家庭教師の姿をしている)によって白鳥へと変えられ、さらわれるシーンを見るのです。
ヌレエフ版では、ジークフリート王子を王子の家庭教師が操るような場面があるなど、家庭教師が重要な役割を担っています。
ひと味違った『白鳥の湖』を見たい方には、ぜひともおすすめしたい演出です。
ヌレエフ版の『白鳥の湖』は、パリ・オペラ座バレエ団がレパートリーとしています。
4.6 マシュー・ボーン版
1995年に上演されたマシュー・ボーン版の『白鳥の湖』は、男性同士の恋愛を描いたストーリーになっています。
初演時には、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルだったアダム・クーパーが白鳥(ザ・スワン)を務め、トニー賞ミュージカル主演男優賞にノミネートされるなど賞賛を浴びました。
日本でも5回ほど上演されています。
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