世界中で愛される、泣けるオペラ『椿姫』〜あらすじや曲を紹介〜
7.オペラ『椿姫』にまつわる話題
オペラ『椿姫』は、音楽という言葉によって書かれた一つの小説のようなオペラです。ヴェルディは始まりから終わりまで、ヴィオレッタの心の奥に入り込んで、彼女の感情をていねいに音楽に写し取っています。音楽がはっきりした意味を持つ言葉のように、ヒロインの心に寄り添い、悲哀や苦しみだけでなく彼女の尊い精神も表現しているのです。
その完成度の高さから、今や世界中の劇場で上演される人気オペラ『椿姫』ですが、初演の失敗は有名な話。その原因は、主人公が娼婦だったこと、主演ソプラノの体型など噂されていますが、一番の原因はこのオペラが革新的過ぎたことでしょう。
7-1.オペラ『椿姫』ヴィオレッタのモデル
若いころのアレクサンドル・デュマ・フィス 出典:Wikimedia Commons
オペラ『椿姫』は、アレクサンドル・デュマ・フィス(1824-1895)の長編小説『椿姫』を基にしています。父親は『三銃士』や『モンテクリスト伯』で有名なフランスの作家アレクサンドル・デュマ(1802-1870)で、父子同名です。父親と区別するために「デュマ・フィス、小デュマ」(「フィス」はフランス語で「息子」の意味)と呼び、お父さんの方は「デュマ・ペール、大デュマ」(「ペール」は「父」の意味)と言うことが多くなっています。デュマ・フィスはデュマ・ペールの私生児でしたが、非常に溺愛し作家になりたいという息子を惜しみなく援助しました。
小説『椿姫』は、デュマ・フィスが実際の恋愛体験を書いて1848年に出版した処女小説。当時のベストセラーになりました。翌年に戯曲化すると1852年、パリのヴォードヴィル座で初演してこれも大当たり。『椿姫』は彼の唯一のヒット作となりました。
マリー・デュプレシ、エドアルド・ヴィエノ画 出典:Wikimedia Commons
小説『椿姫』のヒロイン、マルグリット・ゴーティエは、実在した高級娼婦(クルチザンヌ)マリー・デュプレシ(1824-1847)がモデルです。作曲家のフランツ・リスト(1811-1886)と恋人関係にあったこともある、パリで最も人気の高級娼婦。椿の花を身に付けていたことから「椿姫」と呼ばれていました。マリーは極貧の少女時代から、並外れた美貌で貴族の恋人となって教養を身に付け、瞬く間に売れっ子娼婦になりました。20歳のとき、同い年のデュマ・フィスと出会い恋に落ちます。2人は1年程度で破局し、デュマ・フィスがこの実体験を描いたのが小説『椿姫』です。
7-2.原作とオペラ『椿姫』の違い
小説『椿姫』の挿絵、アルベール・リンチ画 出典:Wikimedia Commons
オペラ『椿姫』のヴィオレッタは名前こそ違えど、小説のマルグリットをヒロイン像の主軸に据えています。
オペラと小説で大きく異なるのは物語の最後です。小説では、マルグリットは恋人アルマンに会うことなく息を引き取ります。アルマンは彼女の死後の手紙で、自分の父親が2人が別れるよう仕向けていたことを知るのです。一方、オペラ『椿姫』は、アルフレードもジェルモンもヴィオレッタの死の間際に駆け付けます。小説よりずっとロマンティックで、救いのあるストーリーに変わっているのです。
もう一つ異なる点は、タイトルが違うこと。日本でのオペラのタイトルは『椿姫』が一般化しているので分かりにくいのですが、イタリア語原題は『La traviata(道を踏み外した女)』。ヴェルディは初め、『愛と死』というタイトルを予定し、人間の最も重要な出来事である「愛」と「死」について訴えようとしていました。しかし、前々作のオペラ『リゴレット』で、ヴェルディと台本作家フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ(1810-1876)は当局の検閲に苦しめられました。神々や歴史的英雄が主人公であることが通常のオペラの世界で、オペラ『椿姫』は貞節を無視した存在である娼婦が主人公に収まっているのです。簡単に検閲が通るはずはなく、2人は対策を講じます。主人公のヴィオレッタを「道を踏み外した女」と公言し、不道徳な女がたどる道は不幸しかないのだと示して、時代も150年前に設定することで検閲を通りやすくしたのでした。
7-3.オペラ『椿姫』初演失敗は太ったソプラノ?
オペラ『椿姫』1853年初演でヴィオレッタを演じたファニー・サルヴィーニ=ドナテッリ 出典:Wikimedia Commons
オペラ『椿姫』は、歴史的大失敗の初演から始まったというのが通説です。その失敗の原因は、ヴィオレッタ役のソプラノ、ファニー・サルヴィーニ=ドナテッリ(1815–1891)の体型であったというのです。
当時37歳、卓越した技巧で、中堅プリマ・ドンナとして活躍していたサルヴィーニ=ドナテッリ。初演の成功に神経質になっていたヴェルディは、直前に出演したオペラ『エルナー二』での失敗を聞きつけ、彼女の起用に反対しました。そして、若く優雅な容姿のソプラノを希望したのです。しかし劇場側は他のソプラノとの交渉がうまくいかず、彼女のまま初演決行。ヴィオレッタの死の場面では、肥満体のサルヴィーニ=ドナテッリが肺病を患う人には見えないとして、観客から失笑が漏れたという有名な話が伝わっています。
しかし、最近ではこの説は否定されています。そもそも、シーズン中9回上演されていることから、オペラ『椿姫』の初演は大失敗というほどではありません。まるでお芝居のように展開するこのオペラは、当時としては斬新すぎる内容で、人々に容易には受け入れられにくいものでした。また他の歌手が十分な状態ではなかったところ、サルヴィーニ=ドナテッリが孤軍奮闘して優れた歌唱を披露。観客も彼女には惜しみない拍手を送り、本当に大失敗するかもしれなかったオペラ『椿姫』の初演を救ったのは、誰あろう彼女であったと再評価されています。終演後に「初演失敗」と各方面に書き送ったヴェルディでしたが、彼女にはオペラの二重唱を自書した色紙を贈り、その功績を認めたのでした。
7-4.マリア・カラスのオペラ『椿姫』
マリア・カラス、フェデリコ・パテラーニ撮影、1957年 出典:Wikimedia Commons
世紀のプリマ・ドンナ、マリア・カラス。彼女の当たり役はオペラ『椿姫』のヴィオレッタで、死後45年以上経た現代でもカラスを超えるヴィオレッタはいないと言われています。役への深い理解からくる解釈によって歌声を使い分け、多くのオペラ作品に後世まで大きな影響を与えました。特にオペラ『椿姫』においては、「カラス以前」、「カラス以後」と区分されるほど、彼女の表現方法が継承されています。
例えば、第2幕のヴィオレッタとジェルモンの二重唱。
「お伝えください、美しく清らかなお嬢様に|Ah! Dite alla giovine」
マリア・カラス(ヴィオレッタ)、マリオ・ザナージ(ジェルモン)、ニコラ・レッシーニョ指揮、英国ロイヤルオペラハウス、1958年
ヴィオレッタがジェルモンの説得に折れてアルフレードとの別れを決意する場面で、まさにこの一瞬からオペラ全体のストーリーが大きく転換します。こちらの録音を聴くと、冒頭の感嘆詞(Ah!)を、オーケストラも途絶えた無音の中で、ピアニッシモでかすかに空中にただようように長く引き伸ばしています。そして、「美しく清らかなお嬢様にお伝えください」とジェルモンに別れの決意を告げます。この直前でヴィオレッタは、「堕落した不幸から抜け出す望みは失われた」と諦めの心を独白しています。運命の分かれ道となる瞬間が、この感嘆詞の部分に集約されていると解釈していることが分かる歌唱です。
同じ部分を、レナータ・テバルディ(1922-2004)の歌唱で聴いてみると違いが分かりやすいと思います。(47分あたりから)
レナータ・テバルディ(ヴィオレッタ)、ジノ・オルランディーニ(ジェルモン)、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、ミラノRAI交響楽団、1952年
オペラの殿堂ミラノ・スカラ座で、プリマ・ドンナとして『椿姫』のヴィオレッタを先に歌っていたのはテバルディでした。カラスの独特の歌声は当時から好みが別れ、一方のテバルディは柔らかく澄んだ典型的な美声。2人はライバルとして、人気を二分していました。
カラスが特に優れていたのは卓越したテクニックと、作品への深い理解からくる迫真的演技、詳細な心理描写。それまでは単に声の美しさや声楽技術を披露する場であったオペラにおいて、カラスはリアルなドラマを演じて見せたのです。
しかし、ローマ歌劇場などイタリアの名だたる劇場で活躍していたカラスですが、スカラ座だけはなかなか彼女に門戸を開きません。スカラ座支配人のアントニオ・ギリンゲッリがテバルディをひいきにしていたためだとも、個性の強いカラスを嫌ったためとも言われています。しかし、体調不良で降板したテバルディの代わりにオペラ『アイーダ』のタイトルロールを勤めたカラスは、スカラ座の聴衆に熱狂的に迎えられました。さらに世界的指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニの推薦も取り付けると、テバルディの十八番であった『椿姫』のスカラ座での出演を迫りました。要求を飲まざるを得なくなったギリンゲッリは、とうとう彼女と『椿姫』の出演契約を結びます。こうしてカラスは、スカラ座での人気も不動のものとしたのでした。
スカラ座内部 出典:Wikimedia Commons
熾烈なライバル争いのようですが、実際のところはファン同士の対立が激化して噂が大きくなったというのが真相のようです。その後テバルディはニューヨークにも活動の拠点を移し、メトロポリタン歌劇場の常連となります。一方カラスは喉の酷使により、その声は急速に衰えます。ギリシャの海運王アリストテレス・オナシスとのスキャンダルなど、プライベートでの心労も重なり、パリの自室で心臓発作を起こして53歳の若さで亡くなりました。
次のページ:8.まとめ|9.オペラ『椿姫』の関連作品
この記事へのコメントはありません。