古典バレエの代表作『眠れる森の美女』の魅力を紐解く|2023年は4バレエ団が上演する”眠り豊作の年”
1 序章 豪華絢爛な古典バレエの代表作『眠れる森の美女』の魅力
バレエとは、美しさ、優雅さ、そして感動をひとつの舞台で融合させた芸術の極み。
その中でも『眠れる森の美女』は、古典バレエの傑作として、1890年の初演から一世紀以上経った今でも、その華麗で魅力的な世界を私たちバレエファンに見せてくれます。
この記事では『眠れる森の美女』が持つ魅力を改めて知るために、その背後にある物語、登場人物、そしてバレエの技術的な要素に焦点を当てていきます。
2023年は、10月から12月にかけて、K-BALLET TOKYO、東京バレエ団、NBAバレエ団、牧阿佐美バレヱ団の4団体が『眠れる森の美女』を上演予定です。
これほど多くのバレエ団が『眠れる森の美女』を上演する年はなく、異例の年といえるでしょう。
各バレエ団の『眠れる森の美女』をさらに楽しむために、同作の魅力や見どころを振り返りましょう。
2 第1章 童話のバレエ化
バレエ『眠れる森の美女』は、フランスの詩人 シャルル・ペローの同名童話を原作にしています。
ここでは、1890年の初演時に焦点を当て、どのように童話『眠れる森の美女』がバレエ化されたのかを見ていきましょう。
2.1 シャルル・ペローの童話『眠れる森の美女』
バレエ『眠れる森の美女』の原作となった物語は、フランスの詩人 シャルル・ペロー(1628年〜1703年)作成の『ペロー童話集』に収録されています。
ペロー版の『眠れる森の美女』の内容を簡単に紹介しましょう。
ある国の王と王妃のもとに、女の子が生まれます。誕生のお祝いに、仙女たちが招待され、8人の仙女がお城へやってきますが、彼女たちをもてなすための金の箱入りの食器は7人分しかありません。
仙女たちは、王女に魔法の贈り物を贈ります。しかし、金の箱入りの食器を用意してもらえないことに怒った8人目の仙女は、「王女が15歳になったときに紡ぎ車の錘が指に刺さって死ぬ」という呪いを王女に贈るのでした。
しかし、まだ贈り物をしていなかった仙女が、「死ぬのではなく100年の眠りにつく」と呪いの内容を変えます。
時は流れ、王女は15歳になったとき、お城の最上階で糸を紡いでいる老婆に出会いました。王女が紡ぎ車に近づいた途端、錘が指に刺さり、王女とお城は深い眠りにつきます。
王女の眠りから100年後、近くの国の王子がお城に近づきます。王子を歓迎するように、開く茨や道。ついに王子は、城の奥で眠る王女を見つけます。
その途端、王女がついに100年の眠りから目を覚ましました。お互いを見るなり恋に落ちる2人。
バレエでは、このあと豪華絢爛な結婚式のシーンになりますが、原作童話は異なります。
実は、王子のお母さん、つまり王妃は「人食い鬼」でした。王子と王女の間にできた子、さらには王女を食べようとしたのです。
しかし、間一髪のところで王子の助けが入り、王妃は気が狂って自害します。
2.2 振付家マリウス・プティパと作曲家チャイコフスキーとのコラボレーション第1弾
ペルーの童話を原作にしたバレエ『眠れる森の美女』は、1890年にマリインスキー劇場で初演されました。
ご存じのとおり、振付はフランス人のダンサー・振付家 マリウス・プティパ、作曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーです。
当時マリインスキー劇場の支配人であったイワン・フセヴォロジスキーがチャイコフスキーにバレエ音楽の作曲を依頼したことが事の発端となります。実は、チャイコフスキーがバレエ音楽を作曲しはじめたのは、フセヴォロジスキーの説得によるもの。
その意味で、フセヴォロジスキーも「チャイコフスキー三大バレエ」を世に送り出した人物のひとりといえるでしょう。
【チャイコフスキー三大バレエとは】
チャイコフスキー作曲、マリウス・プティパ振付による以下の3作品を指す。
- 『眠れる森の美女』(1890年初演)
- 『くるみ割り人形』(1892年初演)
- 『白鳥の湖』(1895年改訂版初演)
現代でも愛されるバレエの代表作となっている。
また、『眠れる森の美女』の台本は、ペローの童話をもとにプティパとフセヴォロジスキーが共同で作りました。
そうして迎えた1890年の初演。
イタリアの作曲家 リッカルド・ドリゴが指揮、イタリア人ダンサー カルロッタ・ブリアンツァがオーロラ姫、ロシア人ダンサー パーヴェル・ゲルトがデジレ王子、プティパの娘 マリア・プティパがリラの精、エンリコ・チェケッティがカラボスと青い鳥を演じました。
4時間ほどの長い公演で、舞台美術や衣装は帝室バレエならではの贅を尽くしたものだったといわれています。
2.3 100年後にオーロラが目覚めた世の中は、貴族が贅を尽くした日々を送る絶対王政最盛期
バレエ『眠れる森の美女』では、オーロラ姫が目覚めた後、お城の大広間で豪華絢爛な結婚式が行われます。
1890年の初演時にかかった費用は、マリインスキー劇場の中で最も高額になったそう。
なぜこのように”豪華な作品”に仕立て上げたかという理由は、初演当時の時代背景にあります。
『眠れる森の美女』初演の9年前となる1881年、ロシア帝国では、皇帝アレクサンドル2世の暗殺事件が起こり、皇帝による専制政治が強化されていた時代でした。
マリインスキー劇場の支配人であるフセヴォロジスキーは、ペローが生きた時代のフランス、つまり絶対王政の最盛期であったルイ14世の時代をモデルに皇室を賛美する作品に仕上げたかったのです。
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