奥泉光『シューマンの指』×シューマン『幻想曲ハ長調』 小説を彩るクラシック#7
ストーリー
里橋の元に友人である鹿内堅一郎から届いた手紙。その手紙には、「長嶺修人が海外でピアノを弾いていた」、ということが書かれています。
「長嶺修人は指を切断したはずだが……」
そう訝しげに思う里橋ですが、迂闊でおっちょこちょいの鹿内の言うことだから、と記憶の外に押し出します。
ここから物語は手記によって語られ始めます。
音大を目指す里橋は、高校時代に後輩として入学してきた天才的な演奏技術を持つ長嶺修人に魅了されていきます。
その長嶺修人は、シューマンに対して信仰に近い感情を持っていて、長嶺に惹かれている里橋はシューマンに対する関心を募らせていきます。
長嶺修人のシューマン愛は徹底していて、後に友人になる鹿内の「君はグレン・グールドが好き?」という問いに対して「グールド本人も嫌いだし、グールドが好きだという人が一番嫌いだ」と辛辣に答えます。
里橋は、「長嶺の感性はグールド的なんだけどな」と考えますが、「もしかしてグールドのレパートリーの中にシューマンが無いから長嶺はグールドが嫌いなのでは?」と、思いを巡らせます。そのぐらい長嶺がシューマンに対しての愛が強いということを表すエピソードです。
主人公と長嶺と聞くシューマン作品
この小説には数々のシューマン作品が登場します。有名曲はほぼすべてといってもいいぐらい網羅的に描かれます。
いくつか登場曲を紹介すると
≪ピアノ協奏曲イ単調≫Op.54
≪ダヴィッド同盟舞曲集≫Op.6
ポスト・ベートーヴェンの時代に、シューマンは小曲集でソナタを書いたんだ、と長嶺修人は語っています。
≪子供の情景≫Op.15
≪クライスレリアーナ≫Op.16
≪トッカータ≫Op.7
東京国際音楽コンクール、ピアノ部門ジュニアで長嶺修人が弾いた曲です。
≪フモレスケ≫
ここで長嶺修人は「シューマンのフモールは、ちょっと冗談っぽいんだけど、すごく真面目なんだ」と語っています。
≪ピアノソナタ第二番ト長調≫Op.22
≪幻想曲ハ長調≫Op.17
≪ピアノソナタ第三番ヘ短調〈管弦楽〉のない協奏曲≫Op.14
≪天使の主題による変奏曲≫遺作
そのほかにも沢山の楽曲(シューマン以外のものも)が登場し、物語に関わっていきます。直接的に関りがない楽曲でも、作者奥泉光の美しい文章の力で楽しむことができます。
ロベルト・シューマン『幻想曲ハ長調』
この小説でキーになる楽曲は、『幻想曲ハ長調』です。
終楽章が緩徐楽章であるなど、楽章配列が変則であるため、ソナタの名は外されたのだろうが、これはシューマンの書いた最も完成されたピアノソナタであると見ることもできるだろう。詩的と呼ぶ他ない、伸びやかで奔放な幻想性が、洗練された形式の織機でもって玄妙に織りあわされ、目眩を呼ぶ美しさが獲得されて、全体が一つの歌声───大地が放つ歌声のように響くのだ。
このように、作者は力を込めてシューマン楽曲の魅力について書いていきます。ときに文学的に描写し、専門性の高い解説も含まれます。
この小説の登場人物、長嶺修人は英雄的でありながら幻想的な人物として、そしてまるで「シューマンそのもの」のように描かれます。
クラシック愛好家の方(とくにシューマンファンの方)には是非読んでいただきたい傑作長編です。
ミステリー仕立ての純文学なので、謎解きが好きな方や、文学愛好家の方にも楽しんでいただけると思いますし、これがシューマン作品への入口になるとも思います。
マルタ・アルゲリッチ(マルデ・アルゲリッチというあだ名の友人も登場します)や、アニー・フィッシャーなど、有名ピアニストも作中で紹介されますので、そのあたりもクラシックファン心をくすぐる作品となっています。
「文学的」と称されたシューマンに相応しい文学作品、『シューマンの指』、気になる方は是非手にとってみてください。
参考文献
奥泉光(2012年)『シューマンの指』 講談社文庫
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