ポール・オースター『偶然の音楽』×クープラン『神秘の障壁』 小説を彩るクラシック#12
ポール・オースター『偶然の音楽』
日本でもトップクラスの知名度と、人気を誇るポール・オースターは、1974年にニュージャージー州ニューアーク生まれ。
コロンビア大学に入学、修士号を得ますが、博士号を取得する前に中退。石油タンカーの乗組員としてメキシコで働き、その後は過去に幾度か訪れていたフランスに移住するなど、世界各国を放浪します。
詩や小説、エッセイ、フランス作家の翻訳などを出版しましたが、デビューするまでは貧困生活を送ります。1979年、父親の遺産を相続することによって執筆に専念する時間ができ、自身の文章を深化させていきました。
作品の舞台のほとんどをニューヨークに設定し、現在もニューヨークのブルックリンに住みながら執筆を行うオースターは、『ガラスの街』、『幽霊たち』、『鍵のかかった部屋』というニューヨーク三部作を発表後、一躍アメリカ現代文学のニュースターとして脚光を浴びます。その後も短いスパンで質の高い小説を発表。映画脚本にも携わるようになります。
『偶然の音楽』
ときどきピアノを叩く程度で楽器は弾けないと話すオースターですが、「小説を書くときはいつも楽器を演奏すること、音楽を作りだすことを考えながら書いている」という言葉の通り、作品には音楽的な美が感じられます。
1990年発表の『偶然の音楽』は、まさしくタイトル通り、「偶然」あるいは「運命」を巡る長編小説です。
ストーリー
物語は、主人公のジム・ナッシュがひたすら車を走らせる場面から始まります。
妻に去られた哀れな男ナッシュは、幼い娘をミネソタに住む姉に預け、消防士として働いています。
ある日、見知らぬ弁護士が訊ねてきて、ナッシュに、あなたには父親の遺産がある、と告げました。
2歳の時にいなくなり、30年以上会わなかった父の突然の訃報と、大金を手にする権利を得たことにナッシュは驚きますが、これを契機に生き方を変えるチャンスがきたのでは?と、すべてを捨てて目的のない旅に出ることを決意します。
仕事を辞め、妻の残していった荷物、家にあるもののすべてを片っ端から処分していきます。
クラシック音楽を愛するナッシュは、所有するレコードと、母親が奮発して買ってくれたアップライト・ピアノを手放すことだけは最後まで迷いますが、空っぽの部屋で、1人壁に向かってピアノを弾くことで、お別れすることにしました。
ナッシュは、お気に入りの曲であるクープランの『神秘の障壁』を、指が麻痺して動かなくなるぐらい懸命に弾き、父の遺産で買った新車のサーブ900に乗り込みました。そして、自分が「生きている」という実感を求めて走り出します。
2、3ヶ月したら飽きるだろうと考えていた放浪は、そんな気配をまったく見せず、自由とスピードはますます加速して1年以上もこの生活を続けます。
車の中で聴く音楽はバッハ、モーツァルト、ヴェルディ。
ナッシュにとっての音楽は「重さの存在しない領域へ連れていってくれる」もので、カセットで聴くこれらの音楽は現実を超えて自らを走らせてくれる燃料になりました。
遺産の残金が僅かになってきたところで、ナッシュは、ジャック・ポッツィというギャンブラーの若者を拾います。
ポッツィは、フワラーとストーンという大金持ちにポーカーの勝負を挑む約束をしており、その話に興味を持ったナッシュは、儲けを折半するという条件で、ポッツィに資金援助をすることにしました。
フラワーとストーンが住む屋敷に着き、ポーカーの勝負が始まると、ポッツィは勝ち続け、戦いの行方を脇で見ていたナッシュは安心して、部屋を出て富豪の屋敷を見て歩きます。
しかし、部屋に戻ってみると状況は一変、ポッツィのチップは減り続け、ナッシュは残りの遺産と、大事な相棒である赤のサーブも賭けて、最後の勝負を仕掛けます。
結果はむなしく、無一文どころか1万ドルの負債を抱えてしまいます。
金を返すあてのない2人は、「仕事で負債を返せ」と言われ、敷地内に、フラワーとストーンがアイルランドで買ってきた15世紀の古城の石を積み上げて壁を作る、という仕事が与えられます。
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