日本のソプラニスタ、木村優一さんに聞く──男性ソプラノ歌手「ソプラニスタ」とは
木村優一の名を知っているだろうか。
声楽家、歌手のジャンルの一つとして「ソプラニスタ」と呼ばれる人たちがいる。聞きなれない言葉と感じる人も多いだろうが、米良美一さん、岡本知高さんといった、男性ながら女性のような高音域を歌いこなす歌手を思い浮かべていただくとわかりやすいかもしれない。そんなソプラニスタの一人として、国内で活躍する声楽家に木村優一さんがいる。
数多いる声楽家の中でも稀有な存在であり、奇跡の声と称される木村さんに、これから数回にわたり、ソプラニスタについて、そしてソプラニスタとしての今後の活動などについてうかがっていきたいと思う。
「ソプラニスタ」とは
自分の声はどんな声?
「自分の声種を説明するときに使っている言葉に、『ソプラニスタ』というものがあります。ソプラノの音域で歌う男声歌手、というようにコンサートなどでは簡潔に説明していますが、実は定義がはっきりしてないとも言える用語です」
1000万人に1人と言われる奇跡の男性ソプラノ(ソプラニスタ)、木村優一さん。
プロフィールを拝見すると、“サファイアボイス”などとも表現されているが、その透き通るようでいて声量豊かな歌声がどこから出てくるのか、細身の体型からはちょっと想像ができない。
ソプラニスタとは、一般的には女性のソプラノの音域をもつ男声歌手のことだと説明されている。しかし、木村さんの言うように定義は曖昧のようだ。男声ではテナーよりさらに高音域を歌うカウンターテナーもいるが、ソプラニスタはそのカウンターテナーに含まれるという考え方もある。
世界でも数少ないソプラニスタという声種
木村さんは、東京藝術大学音楽学部声楽科をテノール(男声の高声部)科で卒業している。しかしソプラニスタの声で受験し、ソプラニスタの声で卒業したという(一度もテノールの声で歌ったことはないとのこと)。
もちろん、学科として「男声のソプラノ科」などというものはないので、それが一番自然な選択だったといえる。ただ入学してからも他の学生とは声種が違うため、さまざまな苦労や葛藤があったようだ。
「恥ずかしながら、20代の頃は女性のソプラノ歌手の歌と比較して自分の歌に劣等感を感じ、自分の声種を客観的に見つめることから逃げていました。今思えば、声種など関係なく、歌い手として自分の声を客観的に見つめるべきでしたが、弱かった私はそこから逃げ回っていました。30歳を目前にしていた大学院の2年間は、いよいよ覚悟を決め、自分と向き合う環境を作り、七転八起しながらも有意義に学べたと振り返っています」
世界で3人しかいないと言われるほど希少な声種であるソプラニスタ。オレグ・リャーベツ、ブルーノ・デサ、サミュエル・マリーニョなど、現在でも活躍する歌手はいるものの、日本での認知度はまだまだ低い。
Bruno de Sá|ブルーノ・デサ
Samuel Mariño|サミュエル・マリーニョ
カウンターテナーとの違い
「よく質問として、『カウンターテナーは女声のアルトの音域で歌う男声歌手、ソプラニスタは女声のソプラノの音域で歌う男声歌手と認識してよいですか』と聞かれることがあり、基本的には否定はせず、そうですと答えています。しかし、ソプラニスタとカウンターテナーとは異なる語源を持っているため、便宜上そのように使用されていると言った方がよいかと思います」
大学卒業後は大学院へ進学。さらにイタリアへ渡り、師事したのはカウンターテナーの声楽家だった。
Luigi Schifano|ルイージ・スキファーノ
A. Vivaldi 『Orlando Furioso』(邦題『狂えるオルランド』)
ヴァッレ・ディトリア音楽祭 2017年
「私がイタリアで師事したカウンターテナーのルイージ・スキファーノ先生は、ソプラニスタもカウンターテナーの一種だとおっしゃっていました。私もその意見に賛同しています。ちなみにカウンターテナーの説明は少し専門的(音楽学的)な話になるので、また別の機会に。
大学院の論文では、この言葉の定義から歴史など色々調べてみましたが、そもそも文献が少なく、海外から資料を取り寄せたり、カウンターテナーの方々に質問したり、イタリアでお世話になった先生の言葉を思い出したりしながら苦労してまとめました。
現代カウンターテナーは世に広く認識され、目覚ましい活躍をしています。是非、いろんなカウンターテナーの歌を聴いてみてください」
ソプラニスタとカストラート
「『ソプラニスタ』は男声のソプラノ歌手を女声のソプラノ歌手と区別するために現在では使用されていますが、色々調べた結果、近年に突然現れた言葉ではなく、カストラートとも関連があるようです。
カストラートというのは、ボーイソプラノの声を成人後も保つため、去勢された男性歌手のことです。カストラートの起源は、教会では女性が歌えなかった時代※にさかのぼります。それでも高声部を担う歌手が必要だったという背景のもとに生まれたようです。活躍の場はオペラに広がり、17~18世紀には大変な人気を博した歌手もいました。」
※ カストラートの起源は16世紀後半のイタリア・ローマとされています。新約聖書に記された教え(第一コリントの書14章)のもとに、教会内で女性が歌うことは禁止されていた時代です。これと同様に教皇領の舞台にも女性が立つことはできませんでした。カストラートは教会音楽からオペラへと進出し、18世紀では男性オペラ歌手の7割がカストラートであったと言われるほど確立された職業でした。
左:第256代ローマ教皇 レオ13世の就任20周年を祝うシスティーナ礼拝堂の合唱団。番号を振られているのがカストラート歌手。(1898年)
右:18世紀に人気を博したカルロ・ブロスキ(ファリネッリ)の肖像画。画:ヤコポ・アミゴーニ(1734-1735年)
出典:Wikimedia commons
「19世紀後半には人道的見地からカストラートは禁止され、カストラートが衰退し始めました。諸説あるようですが、ソプラノカストラートと女声のソプラノとの区別をつけるために『ソプラニスタ』というようになったようです。
おそらく、カストラートではない男声ソプラノとソプラノカストラートとの区別のためにも『ソプラニスタ』という言葉が使われていたと思いますが、はっきりは分かりません。20世紀初頭に最後のカストラートの声が録音されています。現代ではカストラートは存在せず、技術でソプラノの声を出す成人男性歌手を専ら『ソプラニスタ』と呼ぶようになったようです。
ちなみに、『ソプラニスタ sopranista』はイタリア語、『ソプラニスト sopranist』は英語です。カタカナ表記で両方見かけます」
『The Last Castrato』より、「Ave Maria」
独唱は記録に残っている歴史上最後のカストラートとされているイタリアの歌手、アレッサンドロ・モレスキ(1858年 – 1922年)
ソプラニスタの誕生には、なかなか複雑な事情が絡んでいるようだが、木村さんは、「『ソプラニスタ=珍しい声』という前提で見られることが多いので、あまりこれにこだわりたくないというのが本音」とも語ってくれた。また、「自分の声を育てていく上で、歴史や定義を学ぶことは必要と考えています。これからも研究していきたいです」と、いまなお学ぶことをやめない、学究肌の一面も垣間見せる。
1983年に熊本県大津町で生を受けた木村優一さん。
音楽家の母親の影響もあり、歌うことが身近にあった少年時代。母(ソプラノ)と歌うことが楽しかった時代。中学生になり、周囲の男子は声変わりをしていくなか、ボーイソプラノで歌うこと、人と違う声で歌うということに幾分かの恥ずかしさもあったという木村さんだが、恩師との出会い、友人たちの支えもあり、自身の声に対する自信と音楽への情熱が育まれていった時代だったという。
次回は、中高生時代の話も含め、稀有なソプラニスタ、木村優一という存在に迫ってみたいと思う。
学生時代のエピソードはこちらから ↓
プロフィール
木村優一|Yuichi Kimura
又、アーティスト活動と並行してNPO法人音楽で日本の笑顔をに従事し、スマイル合唱団、青春ポップス合唱団や被災地での音楽を通じたボランティア活動を続けている。
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