モダン・バレエを確立させた二つの作品、ニジンスキー振付のストラヴィンスキー『春の祭典』/ドビュッシー『牧神の午後』
モダン・バレエの始まりを告げたニジンスキーの革新的バレエ
バレエの大きな分類に、クラシック・バレエとモダン・バレエがあります。
宮廷での舞踊が発展し、やがて格式を重んじ、磨き上げられた様式美と技術に物語を乗せて楽しむクラシック・バレエに対して、モダン・ダンスの技法を取り入れ、自由な発想で芸術表現を行うものがモダン・バレエとされています。
モダン・バレエは20世紀初頭のバレエ団、バレエ・リュスから興ったとされています。どの作品が開祖であるかには諸説あるのですが、特に強い影響があったのがこの『春の祭典』と『牧神の午後』の二曲だとされています。
2022年11月25日(金)~27日(日)に、新国立劇場バレエによる『春の祭典』と『牧神の午後』の同時上演が予定されています。現在チケットは完売!当日券などの情報は公式サイト、または会場でご確認ください。
2008年、ピアニスト2名の演奏と男女ペアのダンサーのみという形で新制作された新国立劇場のオリジナル版『春の祭典』。今回の公演は、この振付・美術原案を担当した平山素子による新制作『牧神の午後』との二本立てという、胸おどるラインナップです。
バレエ『春の祭典』
『春の祭典』はロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーによるバレエ音楽で、天才バレエダンサーのヴァーツラフ・ニジンスキーが振付を行っています。
音楽史上では、クロード・ドビュッシー作曲・ニジンスキー振付の『牧神の午後』とともに、「クラシック・バレエ」から「モダン・バレエ」がはじまる黎明期の重要な作品として知られています。
『春の祭典』はクラシック・バレエやロマンティック・バレエの作品と比べると抽象的で、明確なストーリーや登場人物像がありません。
物語を楽しむというよりは、音楽とダンスの粋を楽しむ作品という趣が強いです。
春の祭典|Le Sacre du printemps
作品データ
作曲:イーゴリ・ストラヴィンスキー
振付:ヴァーツラフ・ニジンスキー
美術:ニコライ・リョーリフ
初演:1913年5月29日 シャンゼリゼ劇場(パリ)
構成:全2幕
上演時間:約34分
登場人物
本作は抽象的なストーリーで、固有の名前を持っているのは「太陽神イアリロ」だけです。
主演は生贄になる乙女。そのほかに長老たち、他の乙女たち、敵対部族などが登場します。
舞台
古代のロシア、キリスト教以前の原始的な土着信仰が行われていた時代
ストーリー
~古代ロシアの原始宗教の儀式~
春の近づく季節に、二つの部族が争う。
争いの中で、太陽神イアリロが怒りを露わにする。
長老たちが見守る中、生贄に選ばれた乙女は力尽き息絶えるまで踊り、神へと捧げられる。
解説
革新に伴う大混乱の初演
この曲はストラヴィンスキーが見た、長老たちが囲む中で踊り続ける乙女のビジョンを音楽で表現したものです。ロシアの土着の民族音楽を取り入れた、プライマルで先進的な作曲がなされています。
低音の得意なファゴットに高音のソロを任せるような無茶な音使いをしたり、クラスター和音(鍵盤楽器で、楽譜記載の一番低い音から一番高い音までの間にあるすべての鍵盤での和音。ドド♯レレ♯ミファファ♯ソなど。耳障りになりがち)や不協和音をあえて使ったり、3拍子5拍子7拍子といった変拍子が入り乱れたり、ともすれば不快で不気味な音使いに溢れています。
現在もGoogleで検索すると、後述の『ファンタジア』を通じて幼いうちに触れうることも相まって「春の祭典 怖い」というサジェストが出てくるほどです。
初演時の振付はヴァーツラフ・ニジンスキー。興行師セルゲイ・ディアギレフの率いるバレエ・リュスのスターで、モダン・ダンスの影響を受けた振付家ミハイル・フォーキンの作品を踊りこなした天才バレエダンサーです。
ダンサーとしては天才だったニジンスキーには実は音楽知識が全然なく、ストラヴィンスキーが基礎から教えていきながら振付を行っていったのですが、出来上がった振付は、従来彼自身が踊りこなしていたはずの伝統的な振付とは全く異なるスタイルになりました。
異質の振付のレッスンは多難を極め、主演予定だったダンサーの妊娠による降板・交代も重なって、精神的に脆いところのあるニジンスキーには過剰なストレス下での指導となったそうです。
また、ニコライ・リョーリフが担当した舞台美術や衣装も異色です。原始宗教をモチーフにしたこの作品に、土着の民族衣装などをモチーフにエキゾチックで物語に沿った、しかし地味なものが用意されました。
『春の祭典』初演時の衣装・舞台装置写真。出典:Wikimedia Commons
初演はニジンスキーらバレエ・リュスのネームバリューに加え、シャンゼリゼ劇場のこけら落としシリーズだったため、ひときわ注目が集まっていました。
そうして上演された『春の祭典』の音楽、振付、舞台美術の全ては、観客には見慣れないものばかりでした。好意的にとらえれば革新的で斬新だった一方、あまりに型破りでした。
従来の華やかで美しい舞台を期待した観客から否定的な声が上がり、ブーイングと暴動に反論・擁護の声が入り乱れ、警察も出動する大混乱になったそうです。
新聞では原題「Le Sacre du printemps」をもじって「Le “Massacre” du Printemps」(Massacreは虐殺の意)と揶揄されるほどでした。
初演は大荒れになった上、その後ニジンスキーのスキャンダルによって公演回数もあまり多くない内にバレエ団のレパートリーから外れることになりました。
しかし、その革新性はしばらく経ってから正当に評価され、レオニード・マシーン版、モーリス・ベジャール版、ピナ・バウシュ版などいくつもの新しい振付となって受け継がれ、現在に至っています。
ディズニー『ファンタジア』のエピソード
『ファンタジア』は現在パブリック・ドメインになっている。なお、当時恐竜の絶滅は干ばつによると考えられていた。
ディズニーのアニメ映画『ファンタジア』は1940年公開(日本では第二次大戦後の1955年公開)の、クラシック音楽に美麗なアニメ映像を併せた作品です。
ウォルト・ディズニーが当時最高の録音技術、1000人超のスタッフ数、100万枚超の原画(※)、三年以上の製作期間をつぎ込んで大赤字覚悟で制作した、芸術性を極めたアニメ映画です。
(※現在のテレビアニメは通常30分で3000~5000枚の原画を使っている。『ファンタジア』は約120分の映画なので、30分あたり25万枚だから現代アニメの50倍の枚数!)
幼い頃はじめてのクラシック音楽体験がこの映画からだったという方もいるのではないでしょうか。
チャイコフスキー『くるみ割り人形』やポール・デュカス『魔法使いの弟子』、ムソルグスキー『禿山の一夜』など沢山の曲がアニメの演出で彩られていますが、その中の一曲に『春の祭典』も使われていました。
『ファンタジア』での『春の祭典』のアニメは「地球の誕生から生命の誕生と進化、恐竜の誕生と絶滅までを描いた大スペクタクル」。原始宗教を通り越して地球原始時代のストーリーになっていました。
『ファンタジア』使用曲の作曲者でストラヴィンスキーは唯一存命だったため、映画を見て、自分が思い描いたイメージと大きくかけ離れたアニメに衝撃を受けたそうです。
また、当時のアメリカではロシア(1940年時点ではソ連)人の著作権が保護されていなかったため、ディズニーはこの曲を無許諾ですが合法に使用していました。これが後にストラヴィンスキーがアメリカで活動するようになってから、著作権にうるさくなる理由になったと言われています。
宇宙を旅する音楽(の一つ)
ゴールデン・レコード 出典:Wikimedia Commons
1977年、NASAは宇宙に探査機ボイジャー二機を打ち上げました。ボイジャーは太陽系の惑星を調査してデータを地球に送った後、太陽系を離れて外宇宙へと旅立っていきます。
そして、どこかにいるかもしれない宇宙人に見つけてもらったときのため、55の言語による挨拶、地球の自然の音に加えて、27曲の音楽が収録された、金色のゴールデン・レコードを搭載しています。
収録されたうちの一曲がこの『春の祭典』のクライマックス部分です。
クラシックではほかにバッハのバイオリン曲やピアノ曲などが複数、モーツァルトの『魔笛』から「夜の女王のアリア」など。それ以外にはチャック・ベリーのロックンロール、日本の尺八ほか各国の伝統音楽などなどと共に宇宙を漂い、いつの日か出会う宇宙人に地球の音楽を届けに行っているのです。
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