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エドゥアルト・メーリケ『旅の日のモーツァルト』ドン・ジョヴァンニ初演までのひと時 小説を彩るクラシック#16

エドゥアルト・メーリケ
『旅の日のモーツァルト』

エドゥアルト・メーリケは1804年9月8日、ドイツ南西部シュヴァーベンに生まれました。

父親からは真面目で重厚な性格を、母親からは芸術的な素質を受け継ぎ、神学校を卒業後にメーリケはシュヴァーベンの小村を7年間、代牧師として転々とし、詩や散文の執筆に励みます。

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1832年に『画家ノルテン』を出版、35年『宝の箱』、38年に童話『農夫と息子』を完成。密度の高い芸術性と、鮮明な絵画性、詩には魔力的な音楽性が宿り、「詩界のモーツァルト」と呼ばれるにふさわしい作品を発表していきます。

メーリケが『旅の日のモーツァルト』を発表したのは、円熟期を迎えていた51歳のときで、文名も高まり、創作力も絶頂のときでした。

『旅の日のモーツァルト』

『旅の日のモーツァルト』は、ゲーテ以降最大の抒情詩人と呼ばれたメーリケが、長年傾倒していた不世出の音楽家モーツアルトの絶頂期を描く、という挑戦的であり、文学と音楽がフモールを含めて解け合った美しい作品です。

ストーリー

オペラ『ドン・ジョバンニ』の初演を行うためにモーツァルトは、妻のコンスタンツェを伴ってプラーク(プラハ)に向かって出立します。

いくつもの森を越えて、二人は丘の上にある村に辿り着きました。
モーツァルトはイタリア風建築の城の方へ散歩に出かけ、誘われるように城の中に入っていきます。庭園には噴水があり、水盤の周りには手入れの行き届いたオレンジの木が植えられていました。

モーツァルトはオレンジの実を見つめていると、幼年期の思い出がよみがえり、消えかけていた音楽の追憶に包みこまれ、ある種の催眠状態に陥ってしまいます。そして、理由もなくオレンジの実に手を伸ばし、その果実をもぎってしまいます。

それを発見した庭師の男は、モーツァルトに「どうしてこんなことをしたんですか?」と問い詰めます。
庭師によると、オレンジは今晩、城で開催される婚礼の儀式に必要なもので、9つの実は一つでも欠けてはいけないものだ、と言います。モーツァルトは詫びの言葉を紙片に書き、庭師に渡します。

庭師がそれを報告すると、城の主である伯爵は、娘のように可愛がっていたオイゲーニュに贈るオレンジの木を台無しにされた、と激怒しました。

そこに伯爵夫人が紙片を持ってやってきます。「ウィーンの音楽家のモーツァルトさんがやってきてるの?」
伯爵たちは「モーツァルトの訪問はオイゲーニュにとって最高の贈り物になる」と、一転し、婚礼パーティーにモーツァルトを招待することにします。

伯爵の姪のオイゲーニュは音楽に明るい女性でした。そしてモーツァルトのファンでもあり、グランドピアノには『フィガロの結婚』の譜面がおかれていました。

パーティーで、オイゲーニュはモーツァルトのために『フィガロの結婚』の‟スザンナのアリア“を歌い、その歌声の素晴らしさに驚いたモーツァルトはオイゲーニュを絶賛し、彼女は感動から涙ぐみます。
そして、モーツァルトはピアノの前に腰を下ろし、オイゲーニュが今習っている自身のコンチェルトを演奏しました。一同はモーツァルトに釘付けになり、その演奏に魅了されます。

場が活発に盛り上がりだしたところで、モーツァルトは、「なぜ私がいまここにいるのか(なぜオレンジの実をもいだのか)を白状しましょう」と切り出し、13歳の少年時代に父とイタリアに演奏旅行に行ったときの思い出を語り出します。

陽光が輝くナポリの湾上で少年少女たちが、愛を交わすように、船から船にオレンジを投げ交わしていた場面、そのときに見た入り江の夕日が、庭園で見たオレンジによって思い起こされ、それによって、『ドン・ジョバンニ』のまだ出来上がっていない、第一幕のマゼットとツェルリーナのシーンの音楽がぼくの頭に鳴り響いた、と語ります。

1982年、福島県生まれ。音楽、文学ライター。 十代から音楽活動を始め、クラシック、ジャズ、ロックを愛聴する。 杉並区在住。東京ヤクルトスワローズが好き。

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