村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』×ブルックナー『シンフォニー』、ラヴェル『ボレロ』~小説を彩るクラシック#32
2.ブルックナー『シンフォニー』、ラヴェル『ボレロ』
村上春樹の小説には数々の音楽が登場します。ロック、ジャズ、ポップス、そしてクラシック音楽……。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にも当然、様々な音楽が描かれます。
60年代のロック(ボブ・ディランやバーズ、ビートルズ)や、ポップス(ビング・クロスビー)がその中心となってはいるのですが、クラシック音楽も、いくつか印象的に描かれています。モーツァルトのピアノ協奏曲第23、24番や、シェーンベルクの浄夜 、バッハのブランデンブルク協奏曲など。
中でも、印象深く登場するのがアントン・ブルックナーの『シンフォニー』と、モーリス・ラヴェルの『ボレロ』です。
「雨はまだ降りつづいていたが、服を買うのにも飽きたのでレインコートを探すのはやめ、ビヤホールに入って生ビールを飲み、生ガキを食べた。ビヤホールではどういうわけかブルックナーのシンフォニーがかかっていた。何番のシンフォニーなのかはわからなかったが、ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない。とにかくビヤホールでブルックナーがかかっているなんて初めてだ」
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮文庫(下)
「やがてブルックナーの長いシンフォニーが終り、ラヴェルの「ボレロ」に変った。奇妙なとりあわせだ」
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮文庫(下)
こちらは、「ハードボイルド・ワンダーランド」のパートの後半、「私」の意識が終了するまでの猶予が残り24時間となったあたりのシーンです。
雑多でカジュアルなビヤホールで、難解で格式高いブルックナーの交響曲が流れているというのは、ちょっとミスマッチな気がしますが、作者の村上春樹には意図があったはずです。
ブルックナーのシンフォニーの特徴といえば、「長大」であるということと、「難解」であるということが挙げられると思います。
そして、続いて流れてくるラヴェルの『ボレロ』の特徴は「反復」です。
ここで、作者は、「私」に「長すぎる反復」を暗示、示唆しているのだと思います。つまり、意識の終り、世界の終りへと導く音楽として、ブルックナーとラヴェルが選ばれたのではないでしょうか。
アントン・ブルックナー(1824-1896)
アントン・ブルックナー
出典:Wikimedia Commons
オーストリアの作曲家、オルガニスト。
ベートーヴェンやワーグナーに影響を受けたといわれ、優れた交響曲と宗教曲を残した。19世紀後半のドイツ語圏において最も重要な交響曲作曲家。
モーリス・ラヴェル(1875‐1937)
モーリス・ラヴェル
出典:Wikimedia Commons
ドビュッシーと並び、近代フランスを代表する作曲家。代表曲は『スペイン狂詩曲』、『亡き王女のためのパヴァーヌ』、『ボレロ』など。
ラヴェルの紹介記事はこちら ↓
3.まとめ
「ハードボイルド・ワンダーランド」は、意識の死を受け入れ、「世界の終り」では、街からの脱出をあきらめます。この小説では、困難を「乗り越える」という風にベクトルは向いていきません。
「僕」も「私」も事態を克服することなく、受け入れるという形で物語が終わります。この結末では、物語的なカタルシスが希薄だと感じるかもしれませんが、作者は新しい物語の形を読者に提示したようにも思います。
それは、「正しさ」を選ぶことだけが、人生の正解ではないということかもしれません。
4.幻の作品『街と、その不確かな壁』との相違点
『街と、その不確かな壁』は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」パートと同様、強固な壁に囲まれた街が舞台となっています。
『街と、その不確かな壁』の主人公、「僕」には恋人がいます。彼女は精神的な病いに苦しみ、自死を選ぶことになります。
生前、彼女は僕に「この現実にいるのは自分の影で、本当の自分は別な場所にいる」と言います。
「僕」は恋人に会うために、壁に囲まれた街に入っていきます。そこで「僕」は、影を剥がされることになるのですが、主人公は、「壁」に阻まれながらも、弱った影を引き連れて街を脱出することになります。
街にとどまる「世界の終り」と、影とともに街を出る『街と、その不確かな壁』、この結末が最大の違いといえそうです。
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