宮下奈都『羊と鋼の森』×メンデルスゾーン『結婚行進曲』~小説を彩るクラシック#29
フェリックス・メンデルスゾーン『結婚行進曲』
ある日、コンクールに参加していた由仁が原因不明のイップス(楽器演奏やスポーツなどで、急に体が思うように動かなくなる症状。精神性のものが多い)にかかり、突然ピアノが弾けなくなります。
外村は、自分の調律に問題があったのでは? と自分を責めますが、柳はそんな外村を「おこがましい」と一喝します。
調律師としてこれからどう生きていけばいいのだろう? そんな迷いの中、外村の元に祖母の訃報が届きます。
久々の帰省で弟と会い、弟はずっと兄をうらやましく思っていたということ、祖母が自分を愛していたということを知り、地元の森を散策することで自分がやるべきことを見つめ直します。
仕事を再開した外村の元に、由仁がやってきます。彼女がピアノを弾けなくなったのは演奏中にミスをしてしまったことが原因でした。
由仁自身は徐々に立ち直りつつあるのですが、由仁がピアノから離れたことで、和音はピアノから遠ざかっていました。
そんな折に、柳から長年つき合ってきた彼女と結婚するから、余興で弾くピアノの調律を外村に任せたい、と相談されます。
ピアノは和音が弾くということで、外村は話を引き受けます。
和音はピアノを弾く情熱を取り戻し、ピアニストになる、と決意します。今までは妹への遠慮などもあったのでしょうが、今ははっきりと「弾きたい」と言うことができます。
「ピアノで食べていこうなんて思っていない」
和音は言った。
「ピアノを食べて生きていくんだよ」
和音は力強くみんなの前で宣言します。
結婚パーティは、この物語の集大成となります。今まで培った知識と技術を総動員して、外村は和音が弾くピアノを調律します。リハーサル中に、あるアクシデントがあるのですが、板鳥の助言や、ピアノに対するアプローチを思い返して乗り越えます。
そして本番、若草色のドレスを着た和音は、祝福の曲『結婚行進曲』をすがすがしく演奏します。夢のように美しく、現実のようにたしかに。
この物語は、ピアノの調律を通して、外村の成長を描いた作品なのですが、ある種透明な主人公が人々と交わっていく中で、出会った人たちの心がチューニングされていくような、そんな言葉にならない優しさと、人が人と共に生きていくこと──調和──が描かれているように感じます。
先輩たちも、外村にアドバイスや説教をする中で、新米だった自分を見ているような気がしますし、調律で寄り添った外村の姿を見て、和音は自分の音を発見します。
この作品はストーリーも感動的で、面白いのですが、ピアノの調律の描写がとくに見事です。言葉にできない「音」をテーマに書いているのですが、その見せ方がとても美しく、また精緻で、ピアノという楽器の持つ可能性を存分に描いています。
ピアノに興味がある方、クラシック音楽が好きな方に是非おすすめしたい作品です。
参考文献
宮下奈都(2015年)『羊と鋼の森』文春文庫
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