見どころ満載のファンタジック・オペラ、オッフェンバックの『ホフマン物語』~あらすじや曲を紹介~
ジャック・オッフェンバックと『ホフマン物語』
『テュイルリー公園の音楽会』エドゥアール・マネ画(1862年)、中央右寄りの木の前に座っている眼鏡の男性はオッフェンバック、前方に座っている青い帽子の右側の女性はオッフェンバック夫人、左端でステッキを持ってこちらを向く男性はマネ自身、出典:Wikimedia Commons
ジャック・オッフェンバックは、ドイツ出身でフランス、パリで活躍した作曲家です。オペラよりも気軽で喜劇的な「オペレッタ」で人気を博しました。「地獄のギャロップ」が有名なオペレッタ『天国と地獄/地獄のオルフェ』は、オッフェンバックの出世作。しかし、彼が最後まで目指したのは大作の「オペラ」でした。
1851年3月31日、ジュール・バルビエ(1825-1901)とミシェル・カレ(1821-1872)が、パリ・オデオン座で全5幕の戯曲『ホフマン物語』を上演。E.T.A.ホフマンの3つの小説を組み合わせ、さらに主人公を作家本人に置き換えたものでした。
オッフェンバックはこれを見て、オペラ向けに脚色できないか打診。それから年月が流れ、バルビエは別の作曲家のために台本を作成していましたが、最終的に台本はオッフェンバックの元に渡りました。
最後の作品になることを直感していたオッフェンバックは、この作品に渾身の力を注ぎます。1880年、『ホフマン物語』の楽譜を手にしながら「今夜でお別れになると思う」と家族に告げると、その言葉通りオッフェンバックは旅立ちました。
ジャック・オッフェンバックの略歴
オッフェンバックと一人息子オーギュストの写真
出典:Wikimedia Commons
[1819年 0歳]
6月20日、ドイツ・ケルンのユダヤ人家庭に生まれる。
[1833年 14歳]
パリ音楽院に入学。
[1834年 15歳]
パリ音楽院を自主退学。劇場のチェロ奏者になる。
[1855年 36歳]
シャンゼリゼ通りに「ブフ・パリジャン座」を開く。
[1858年 39歳]
オペレッタ『天国と地獄/地獄のオルフェ』初演、大成功。
[1876年 57歳]
オペラ『ホフマン物語』制作に取り掛かる。
[1880年 61歳]
10月5日死去。
[1881年]
2月10日、オペラ『ホフマン物語』オペラ・コミック座初演(エルネスト・ギロー補筆)。
オッフェンバックの略歴や紹介は、オペレッタ『天国と地獄/地獄のオルフェ』(4ページ目)の中でも紹介していますので、併せてご覧ください!
E.T.A.ホフマン|Ernst Theodor Amadeus Hoffmann
ベルリン時代に描かれたE.T.A.ホフマン自画像(1810年~20年頃)
出典:Wikimedia Commons
オペラ『ホフマン物語』の3つの恋物語は、ドイツの作家E.T.A.ホフマン(エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン)の3つの怪奇小説を基にしています。
オランピアの物語は『砂男』、アントニアの物語は『クレスペル顧問官』、ジュリエッタの物語は『大晦日の夜の冒険』です。さらにプロローグは、『ドン・ファン』(モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』を題材としたホフマンの音楽小説)の影響があります。これに作家自身を主人公として登場させることで、全体に統一性を持たせています。
E.T.A.ホフマンはロマン派ドイツ文学の巨匠で、特に19世紀フランスにおいては、とりわけ重要な文学者とみなされていました。本名は「エルンスト・テオドール・ヴィルヘルム・ホフマン」ですが、モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、1756-1791)への愛が高じて、「アマデウス」を用いた名前を自称。非常に多才な人物で、法律家を本職としながら、執筆家、作曲家、画家の顔を持っていました。
浴びるように酒を飲み、ベルリンに現存する居酒屋「ルーテルとヴェーゲナー(Lutter & Wegner)」には毎晩、彼の物語を聞くために作家や音楽家が集まったとか。オペラ『ホフマン物語』の酒場の店主の名もルーテルです。
E.T.A.ホフマンの音楽への影響
E.T.A.ホフマンの文学作品は、多くの芸術家にインスピレーションを与えました。
ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)のバレエ音楽『くるみ割り人形』は、ホフマンの童話『くるみ割り人形とねずみの王様』が基になっています。
ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)にも影響を与え、例えばオペラ『タンホイザー』には、小説『歌合戦』との関連性が見られます。
ホフマンがまとめた音楽論集『クライスレリアーナ』は、ローベルト・シューマン(1810-1856)がこのタイトルを冠したピアノ曲集を作曲しています。
ロベルト・シューマン『クライスレリアーナ/ピアノのための幻想曲集』第1曲|Kreisleriana-Phantasien für das Pianoforte Äußerst bewegt(Op.16 -1)
マルタ・アルゲリッチ、シューマン『クライスレリアーナ/ピアノのための幻想曲集』
E.T.A.ホフマンの略歴
[1776年 0歳]
1月24日、ドイツ、ケーニヒスベルクの法律家の家に生まれる。
[1800年 24歳]
法律の学位を取得し、プロイセン東部(現ポーランド)の司法官として勤務。
[1804年 28歳]
ワルシャワに異動。音楽アカデミーを設立、アカデミーのためフレスコ画を制作。交響曲やオペラを作曲。
[1806年 30歳]
ナポレオンの侵攻により職を失う。
[1808年 32歳]
バンベルク劇場(ドイツ)の楽長兼作曲家に就任。
[1814年 38歳]
ベルリンに移住、翌年プロイセン大審院判事に。小説集『カロ風幻想作品集』を発表。
[1816年 40歳]
ベルリン国立劇場でオペラ『ウンディーネ』初演、成功。
[1817年 41歳]
小説集『夜想作品集』を発表。
[1819年 43歳]
小説集『ゼラーピオン同人集』を発表。
[1822年 46歳]
6月25日、脊椎病により死去。
まとめ
「人は愛によって大きくなり、涙によってさらに大きくなる」|On est grand par l’amour et plus grand par le pleurs
フィラデルフィア・アカデミーオブボーカルアーツ(AVA)2011年
(2分あたりから)
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
オペラ『ホフマン物語』は、作曲家オッフェンバックが命の灯を燃やして描いた、唯一にして渾身のオペラです。最後に、その思いが込められたフィナーレの大合唱をお聴きください。
オペラって、素晴らしい!
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