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20世紀の奇跡のバレエ団「バレエ・リュス」とは?バレエ・リュスの歴史や創設者ディアギレフについて解説

バレエ史を語るうえで欠かせないバレエ団「バレエ・リュス」とその主宰者セルゲイ・ディアギレフは、結成の1909年からディアギレフが亡くなる1929年までの20年間、人々の心を虜にし、その後のバレエの発展に大きく寄与しました。

本記事では、バレエ・リュスの歴史をメインに、バレエ・リュスが生んだ名ダンサー、名振付家、そしてバレエ・リュスと関わりのあった芸術家などについて解説します。

新国立劇場バレエ団の『春の祭典』や、展示『パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂』など、2022年11月以降、バレエ・リュス関連の作品・展示も上演/開催されています。

ぜひ本記事をきっかけにバレエ・リュスの歴史に触れ、バレエ・リュスの功績と現代への影響を実感してみてください。

目次

1. バレエ・リュスとは?

「バレエ・リュス」とは、ロシアの興行師 セルゲイ・ディアギレフが主宰したバレエ団です。フランス語で「ロシアのバレエ(団)」を意味しています。

バレエ・リュスは、『牧神の午後』や『春の祭典』など、19世紀までの伝統的なクラシックバレエとは一線を画した新たなバレエを生み出し、その解散後は、世界中で活躍することとなるダンサーや振付家を輩出したバレエ団でもあります。

ニューヨーク・シティ・バレエ団を創設したジョージ・バランシンや、英国ロイヤルバレエ団の起源である「ヴィック・ウェルズ・バレエ」の創設者ニネット・ド・ヴァロアもバレエ・リュスの出身です。

パリ・オペラ座バレエ団も、バレエ・リュスのスターダンサーであったセルジュ・リファールによって、衰退ぎみであった同団の地位を世界最高峰のバレエ団へと押し戻しました。

また、パブロ・ピカソココ・シャネル、ブロンズ像『考える人』で有名な彫刻家オーギュスト・ロダンなど、多くの芸術家に影響を与え、その芸術を舞台美術や衣装、パンフレットなどに取り入れました。

現代の私たちがバレエを大いに楽しめるのもバレエ・リュスがあったからこそ、と言っても過言ではないでしょう。それほど、バレエ・リュスはバレエ史ひいては芸術史上、非常に重要なバレエ団なのです。

「バレエ・リュス」は専用劇場を持たず、パリやロンドン、ベルリン、ジュネーヴなどを巡業する「ツアー・カンパニー」でした。劇場付属のバレエ団が当たり前であった20世紀初頭においては、非常に珍しいことです。

なお、「バレエ・リュス」というのはバレエ団の正式名称ではありません。実は、このバレエ団には正式名称がなく、「バレエ・リュス」という名のほかに「ディアギレフのインペリアル・バレエ」など、公演ごとに異なる名前を掲げていました。

「バレエ・リュス」の詳しい歴史については、「3. バレエ・リュスの歴史」で解説していきます。

2. バレエ・リュスを率いた「セルゲイ・ディアギレフ」とはどんな人?

セルゲイ・ディアギレフ 出典:Wikimedia Commons


セルゲイ・ディアギレフは、1872年ロシアの貴族として生まれました。

育ての母親の親戚がチャイコフスキー家の出身で、「ロシア5人組」の一人モデスト・ムソルグスキーがピアノの伴奏にやってくるなど、音楽的に恵まれた環境で育ちました。

大学在学時には、交響組曲『シェヘラザード』の作曲者リムスキー・コルサコフに声楽を習うなど音楽的なセンスを培い、その才能はバレエ・リュス結成後も作曲家の選定などで大いに役立つことになります。

「バレエ・リュス」結成前には、美術雑誌の刊行や展覧会、音楽会の主催などを行っていました。雑誌の編集や展覧会、音楽会の演出においても才能を発揮し、展覧会には皇帝やその一族なども足を運んでいます。

1908年、ディアギレフは初めてパリで舞台を主宰します。このときの演目はオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』で、主演は「歌う俳優」と言われた20世紀初頭の名バス歌手、フョードル・シャリアピンでした。


『ボリス・ゴドゥノフ』についてもっと詳しく!


翌1909年に企画したバレエ「ロシア・シーズン」(バレエ・リュスの1年目に数えられる公演)も成功に収め、以降、バレエ・リュスの主宰者として、ダンサー・振付家らを束ね、パトロンや興行主と交渉して資金を調達するなど、20年間にわたりバレエ・リュスをリードしていったのでした。

ディアギレフ自身は、音楽や芸術の知識・素養はあったものの、バレエを踊れるわけでも、振付・作曲ができるわけでもなく、いわばバレエ団の経営者という立ち位置です。

ディアギレフが優れていたのは、才能がある人物を見出し、その才能を引き出す力でした。

ディアギレフによって見出された人物を一部挙げてみましょう。

ヴァーツラフ・ニジンスキー、レオニード・マシーン、セルジュ・リファール、ジョルジュ(ジョージ)・バランシンなどのダンサー・振付家、ストラヴィンスキー、プロコフィエフなどの作曲家、ピカソ、ジョルジュ・ブラックなどの芸術家……。

ディアギレフが世に送り出した才能、そしてその後のバレエ・芸術に与えた影響の大きさを考えると、ディアギレフに先見の明があったことがよく分かると思います。

また、バレエの技法に詳しくないものの、ダンサーに一流の教育を受けさせることの重要さを理解していたことにも触れるべきでしょう。アンナ・パブロワ、ニジンスキーらの師エンリコ・チェケッティにクラスレッスンを任せ、ダンサーたちの基礎力強化にいそしみました。

次のページ:バレエ・リュスの歴史~結成から解散まで~

バレエ歴21年・とあるバレエ教室の現役生徒のまいです! 大好きなバレエの魅力や作品についてご紹介していきます♩

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