20世紀の奇跡のバレエ団「バレエ・リュス」とは?バレエ・リュスの歴史や創設者ディアギレフについて解説
5. バレエ・リュスと関連のある芸術家〜キュビスム(キュビズム)との関わり〜
ディアギレフは、美術や衣装にもこだわりを持っていました。
初期には画家でもあるレオン・バクストを重用し、フォーキンやニジンスキーの振り付けとともに舞台を彩って、世界的評判を支えていました。
レオン・バクスト自画像、バクストによる『牧神の午後』のニジンスキーのスケッチ、『火の鳥』の衣装スケッチ
出典:Wikimedia Commons
その後はさらに、キュビズムやフォービズム、構成主義などの最新の芸術運動をも取り入れています。
なかでも、バレエ・リュスと関連があり、バレエ・リュス解散後も世界的に名声を得た芸術家や実業家を3名紹介します。
5-1 パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソ 出典:Wikimedia Commons
代表作ゲルニカ 出典:Wikimedia Commons
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現代では、誰もがその名を知る画家 パブロ・ピカソも、ディアギレフが見出した人物の一人です。
ディアギレフはピカソの才能を見込んで『パラード』(1917年初演)の美術・衣装を依頼しました。
登場人物の一人、マネージャーの衣装は大きなハリボテを被ったようなキュビスム的造形物で、従来のバレエの衣装とはほど遠く、初演時には賛否両論を巻き起こしたと言われています。
なお『パラード』は、台本をフランスの多彩な芸術家ジャン・コクトーが、音楽を現代音楽の祖エリック・サティが手がけたことでも有名です。
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その後、『三角帽子』や『クァドロ・フラメンコ』の美術・衣装も担当。1920年代には、公演プログラムの表紙にもピカソの絵が多数採用されました。
5-2 ジョルジュ・ブラック
ジョルジュ・ブラック 出典:Wikimedia Commons
ピカソ同様、キュビスムの画家として知られるジョルジュ・ブラックは、1924年の『うるさがた』でバレエ・リュスに初参加し、『ゼフィールとフロール』で美術・衣装を、『サラダ』で衣装を手がけました。
5-3 ココ・シャネル
ココ・シャネルとシャネルNo.5
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CHANELの創設者であるココ・シャネルは、バレエ・リュスを支えるパトロネスの一人でした。
バレエ・リュスの大パトロネス ミシアの紹介でシャネルとディアギレフは知り合い、1920年の『春の祭典』上演に際しては匿名で資金援助を行いました。
そして、1924年『青列車』の衣装デザインを機に、デザイナーとして数々のコラボレーションをしていきます。
1929年、ディアギレフが逝去すると、そのすべての葬儀費用を負担するなど、バレエ・リュスおよびディアギレフを最後まで大きく支える人物であったと言われています。
6. バレエ・リュスで作曲を担当した作曲家
ディアギレフは、作曲家の才能を見出す力も持っていました。
ディアギレフが才能を見出し、バレエ・リュスで作曲を担当した作曲家のうち、バレエ界でも特に著名な作曲家2名をピックアップして紹介します。
6-1 イーゴリ・ストラヴィンスキー
イーゴリ・ストラヴィンスキー
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イーゴリ・ストラヴィンスキーは、ロシア人の作曲家です。
初期の管弦楽作品『幻想的スケルツォ』や『花火』を聞いたディアギレフがストラヴィンスキーの才能を確信し、以降、『レ・シルフィード』の編曲などバレエ・リュスからの依頼があったと言われています。
バレエ・リュスのために作曲した『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』はストラヴィンスキーの三大バレエと呼ばれ、現代まで受け継がれています。
ストラヴィンスキーの楽曲は、復調や変拍子、リズム主題の援用、ロシア民謡の要素が取り入れられていることが特徴で、先述の三大バレエでは特に顕著に見られます。
6-2 セルゲイ・プロコフィエフ
セルゲイ・プロコフィエフ
出典:Wikimedia Commons
現代では、『ロミオとジュリエット』『シンデレラ』の作曲家としても知られるプロコフィエフも、ディアギレフによって見出された一人です。
1915年『道化師』を皮切りに、『鋼鉄の歩み』『放蕩息子』などの作曲を手がけました。
バレエ・リュス最後の作品となった『放蕩息子』の音楽は、全10曲から成る作品です。『放蕩息子』の音楽は、プロコフィエフ作曲の『交響曲第4番』にも転用されています。
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