E.T.A.ホフマン『大晦日の夜の冒険』:オペラ『ホフマン物語』の原作紹介〜オペラの原作#06
『大晦日の夜の冒険』あらすじ
4. 失われた鏡像の話
ついにエラスムス・シュピークヘルが、生涯胸にいだきつづけてきた願いをかなえられるときがやってきた。弾む心と、ずっしり中身の詰まった財布とともに、彼は北国の故郷を出て美しい南の国へ旅するために馬車に乗りこんだ。
『砂男/クレスペル顧問官』ホフマン
大島かおり訳 光文社古典新訳文庫
この章では、小男であるエラスムス・シュピークヘルが話の中心となります。
冒頭のシーンで、エラスムスは妻と子どもを残して、憧れの土地イタリアへ旅立ちます。
辿りついたフェレンツェは、活気があり、陽気な場所でした。毎晩、おもしろおかしい宴会が開かれ、人々は、生命力と若さの血気にまかせて盛り上がっていました。
このような宴会に参加するようになったエラスムスに、同行している男友だちが「どうして、われわれの宴に女性を連れてこないんだ?」言いました。
エラスムスは、「故郷に残してきた妻を裏切るようなことはしたくない」と語ります。
場にいた若者たちは、どっと笑いました。
「あなたはまだジュリエッタに会ったことがないからだ」
男友だちの同伴の女性は、エラスムスを脅すように言いました。
次の瞬間、ジュリエッタがやってきます。その姿は、天使のごとき美しさで、みんなを圧倒しつつ、甘く愛らしい声で「わたしも宴に加えてくださいませ」と言います。
同伴がいないエラスムスの隣に座ったジュリエッタは、妖しい魅力を放ち、一瞬でエラスムスの心を奪ってしまいます。
「そう、きみは──きみはぼくのいのち、ぼくのなかですべてを灼きつくす炎となって燃えている。もうどうなってもいい──滅びようともかまわない、ただきみとひとつになり、きみそのものになりさえすれば」
『砂男/クレスペル顧問官』ホフマン
大島かおり訳 光文社古典新訳文庫
やがて朝が来て、ジュリエッタは、「近いうちに訊ねてこられるように」と、住所をエラスムスに教えます。
恋の苦悩に心乱れたエラスムスは、とぼとぼと自分の住まいに向かって歩き出しました。すると、エラスムスに見知らぬ男がちょっかいを出してきました。
「まあ、まあ、そう急ぎなさんな、どうせジュリエッタのところには、いますぐ行けやしないんだからね」
「なんであんたがジュリエッタのことを?」
声を荒げて叫ぶと、男はあっと言う間に姿を消してしまいました。
男の名前はシニョール・ダペルトゥットォ。奇跡を売りものにする治療師でした。
ジュリエットの魅力にはまっていくエラスムスに対して、友人であるフリードリヒは、ジュリエッタはやめておけと警告します。あの女はずる賢い高級娼婦なんだから、と。
故郷の妻を想い、激しく葛藤するエラスムスの前に、どこからともなくシニョール・ダペルトゥットォが現れてこう言います。
「さあ、急げ、ジュリエッタがお待ちかねだぞ」
結局、エラスムスはジュリエッタの魅力に屈してしまいます。それを見たフリードリヒは、「もう救う手立てはないな」とつぶやき、去っていきました。
ある日、ジュリエッタが借りている別荘で事件が起きました。
宴会中、若いイタリア人がジュリエッタの機嫌をとろうとしている姿に嫉妬心をかき立てられて、二人は口論を始めてしまいます。喧嘩はエスカレートし、イタリア人がナイフを取り出すと、エラスムスは相手を投げ飛ばし、首筋に蹴りを入れてイタリア人を絶命させてしまいました。
エラスムスは取り押さえられ、気を失い、気づくと小さな部屋でジュリエッタの足元に横たわっていました。
ジュリエッタは目を覚ましたエラスムスに「ここにとどまっていては危ないわ。すぐにお発ちなさい」と言います。
ジュリエッタとの別れを思うとエラスムスは苦痛と悲観に胸が張り裂けそうになりました。
「あなたはわたしのことなど、すぐに忘れてしまうでしょう」
「いつまでも完全にきみのものでいられたらなあ」
ジュリエッタは、鏡の前に立っているエラスムスを抱きしめて「あなたの鏡像をくださいな」とそっとささやきました。
はじめは拒むエラスムスでしたが、涙を流しながら訴えるジュリエッタに屈して鏡像を渡すことを承諾してしまいます。
ジュリエッタの接吻が彼の唇を火のように灼いた。そして彼から身を離すと、鏡に向かって渇望をこめて両手を差しのべた。エラスムスの目のまえで、彼の鏡像が本人の動きとは無関係に抜け出てきて、ジュリエッタの腕にするりと収まったかと思うと、嘲笑を発し、エラスムスは深い恐怖のあまり意識を失って床にくずおれた。
砂男/クレスペル顧問官』ホフマン
大島かおり訳 光文社古典新訳文庫
鏡像を失ったエラスムスは人々に悪魔のような扱いを受けます。
「こいつには鏡像がない!」
「悪党だ、怪しいやつだ、外へおっぽりだせ!」
警察には、鏡像とともに出頭せよ、さもなくば町を退去すべしと言われ、子どもや野次馬にも「悪魔に魂を売ったやつ」と囃し立てられます。
やっとのことで故郷の町に着いたエラスムスは、妻と子どもと幸せで穏やかな時間を取り戻していきます。ですが、妻がエラスムスに鏡像がないことを発見すると、「あなたはわたしの夫じゃない、地獄の悪魔だ、出てって!」と叫び、夫を家から追い出してしまいます。
悲観に暮れるエラスムスのもとに、またもやシニョール・ダペルトゥットォが現れ、「ジュリエッタはあんたに恋焦がれているぞ」と囁きます。
「彼女のところに案内してくれ!」
懇願するエラスムスにシニョール・ダペルトゥットォは、ジュリエッタに会うためには、妻子との絆を断ち切らなければならない、と言って怪しげな薬品を渡します。毒薬でした。
なにも考えられなくなったエラスムスは自宅に逃げ帰り、自室に入っていきました。
妻は、帰ってきた男は自分の夫ではないと言い続けていました。
「破滅しか待っていないとしても、ジュリエッタに会いたい」そう願うエラスムスのもとにジュリエッタが現れます。
「この小さな紙切れに署名をしてほしい」
そこには、妻と子どもを自由にさせること、ジュリエッタのものになることが書かれていました。
「ペンを地に浸せ、浸せ──書くんだ、書け」シニョール・ダペルトゥットォが迫り、「書いて、書いて、わたしの永遠の、ただひとりの愛する人」とジュリエッタはささやきます。
ペンに血を浸し、署名をしようとしたそのとき、妻がやってきて「お願いだから、そんなひどい行為に手を染めないで!」と叫びました。
正気にかえったエラスムスはペンを投げ捨てジュリエッタを力いっぱい突き飛ばします。ジュリエッタとダペルトゥットォは消え去り、そこには悪臭のする濃い煙だけが残されていました。
憔悴する夫に妻は優しく手を差し伸べます。
「あなたはしばらくのあいだ世の中を遍歴して、悪魔からあなたの鏡像を取り返してらっしゃい」
エラスムスは妻と子にキスをして、鏡像を取り返す旅に出ていきました。
参考文献
E.T.A.ホフマン(2014年)『砂男/クレスペル顧問官』大島かおり訳 光文社古典新訳文庫
まとめ
『大晦日の夜の冒険』は〝喪失〟を描いた作品です。
第一章で、主人公は、かつての恋人ユーリエを「永久に失って」しまいます。ペーター・シュレミールには影がなく、エラスムス・シュピークヘルには鏡像がありません。
鏡像を失うということはどういうことなのでしょうか?
それは〝反映〟が無いということです。
物語の結末のほうで、エラスムスは、息子に顔をストーブの煤で汚されるのですが、彼の顔は鏡に映らないため、汚れを確認することも、消すこともできません。このエピソードでホフマンは、鏡像を失うということは、客観的に自分を見ること、内面の自己を確認することができない、ということを示しています。
この作品はアイデンティティの喪失を描いた物語ともいえそうです。
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