村上春樹『1973年のピンボール』×ヴィヴァルディ×ヘンデル 小説を彩るクラシック#13

村上春樹『1973年のピンボール』
『風の歌』の実質続編!「鼠」も再登場

『1973年のピンボール』は村上春樹のデビュー後2作目の長編小説です。前作『風の歌を聴け』の続編といっていい内容で、続く『羊を巡る冒険』を入れて「鼠三部作」と呼ばれています(青春三部作、単に初期三部作と呼ばれることも)。
この小説が発表されたのは1980年。その年の芥川賞の候補になっています。

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『1973年のピンボール』

この小説は「僕」の章と、「鼠」の章に分けられており、一貫した物語はなく、バラバラなエピソードがお互いの章に干渉しない形で語られます。

タイトルの通り、1973年を舞台に、大人になった「僕」と「鼠」の物語が描かれており、学生だったころの無邪気さや瑞々しさはトーンを落とし、大人ゆえの苦悩が現れるようになりました。

あらすじ 昔日の思い出を音楽に乗せて綴る、双子との共同生活

舞台は前作『風の歌を聴け』の3年後。当時、学生だった主人公の「僕」は大学を卒業し、友人と立ち上げた翻訳事務所で働いています。
友人である鼠は、「僕」の故郷の街(前作の舞台)で、相変わらずジェイズ・バーでビールを飲み続ける日々を送っています。

「僕」の章では、「鼠」と夢中になって遊んだピンボールマシン「スペースシップ」を探し出す物語が、「鼠」の章では、港町で現実感のない生活を送る日々が描かれます。

アントニオ・ヴィヴァルディ
『調和の幻想(調和の霊感)』

主人公の「僕」は学生運動が盛んだった1960年代後半に出会った「土星生まれ」との会話を物語の冒頭で思い出します。

「土星生まれ」はある政治グループに所属しており、グループは大学の九号館を占拠していました。
九号館には2000枚のレコードコレクションと、立派なステレオがある音楽室があり、日が暮れるとグループはみんなで集まってレコードを聴き、彼らの全員がクラシック・マニアとなってしまうほどでした。

ある晴れた秋の日に、機動隊が九号館に突入します。そのときフル・ボリュームで流れていたのが、ヴィヴァルディの『調和の幻想』でした。
それを「僕」は、1969年をめぐる心暖まる伝説の一つだ、と話しています。

村上春樹が早稲田大学に入学したのは1968年。学生運動が非常に盛んだった頃です。当時、学生運動に参加した若者たちは世界を良くしようという理想に燃えていました。つまり学生運動に参加した若者は「世界の調和」を夢みていたはずで、それに対して作者は「幻想」だった、と感じていたのかもしれません(伝説というぐらいですから……、そもそも政治的な事柄からは距離を置いていたのかも)。

物語の中盤で、「僕」はふとしたことから双子の女の子と共同生活を送ることになります。女の子は「僕」のために音楽をかけるのですが、そのとき彼女が選んだレコードがヘンデルリコーダー・ソナタ(※1)です。

このレコードは、何年も前に当時つき合っていたガールフレンドが、バレンタインデーで「僕」にプレゼントしたもので、このソナタを聴きながら「僕」は過去を振り返ります。

ヴィヴァルディ、ヘンデルとバロック時代の音楽が登場する『1973年のピンボール』ですが、この作品においては、どちらも過去と結びつけられている気がします。ヴィヴァルディは、成されなかった革命。ヘンデルは過ぎ去った恋として。

物語は「僕」が探し出したピンボールマシンに別れを告げ、双子の女の子が「僕」のもとを去るところで終わります。
それは「何もかもがすきとおってしまいそうなほどの十一月の静かな日曜日」でした。

※1…ヘンデルがアルトリコーダーのために作曲したソナタ作品

前作は青春の一夏を描いた物語でしたが、『1973年のピンボール』では1973年9月に始まり、その年の11月に終る秋の物語です。

前作同様ドラマチックな出来事は起きませんが、「僕」や「鼠」のまなざしが、失われたものに向いているように感じられ、その「哀しみ」が深い余韻を残す作品となっています。

ロックやポップス、ジャズも登場する作品ですが、これらは「現在」や「現実」と結びつけられ、クラシック音楽がイノセンスの消滅として象徴的に描かれているように感じられまます。

『1973年のピンボール』は、村上春樹の代表作ではないかもしれませんが、去っていった季節に別れを告げる良質な作品です。ぜひ、ご興味のある方は手に取ってみてください。


参考文献
村上春樹(1983年)『1973年のピンボール』講談社文庫


小説を彩るクラシック
小説を彩るクラシック#1〜村上春樹『風の歌を聴け』


1982年、福島県生まれ。音楽、文学ライター。 十代から音楽活動を始め、クラシック、ジャズ、ロックを愛聴する。 杉並区在住。東京ヤクルトスワローズが好き。

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