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カエサルとクレオパトラの恋、ヘンデルのオペラ【エジプトのジュリオ・チェーザレ】〜あらすじや曲を紹介〜

目次

作曲家
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル 出典:Wikimedia Commons

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、ドイツで生まれ、オペラを学ぶため本場のイタリアで修行し、その後ロンドンで活躍したバロック時代を代表するオペラ作曲家です。ヘンデルと言えばオラトリオが有名ですが、オペラへの情熱を燃やして外国に積極的に飛び出していった野心家でした。

そして、ヘンデルは伝記に取り上げられた最初の音楽家です。イギリスの音楽文化発展に尽力しただけでなく、孤児や困窮音楽家を常に支援した慈善家でした。

死後は外国出身者としては異例で、ウェストミンスター寺院に埋葬され、3000人もの人々が参列しました。ウェストミンスター寺院は、中世のイギリス王のほとんどや、ニュートンやダーウィンなどのイギリスの偉人が眠る格式ある寺院です。

同時代の作曲家としては、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)やアントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)がいます。

ヘンデルの略歴

[1685年 0歳]
2月23日、ドイツのハレに生まれる。

[1705年 20歳]
最初のオペラ『アルミーラ』、ハンブルクのゲンゼマルクト劇場で初演。

[1706年 21歳]
イタリアでオペラ修行。フィレンツェに滞在後ローマへ移る。

[1707年 22歳]
最初のオラトリオ『時と悟りの勝利』をローマで初演。

[1709年 24歳]
オペラ『アグリッピーナ』ヴェネツィアで初演、大成功する。

[1710年 25歳]
ハノーファー選帝侯の宮廷学長に任命されドイツに戻る。初めてロンドンへ渡る。

[1711年 26歳]
オペラ『リナルド』ロンドンで初演、爆発的大成功に。

[1714年 29歳]
ハノーファー選帝侯がイギリス国王ジョージ1世となる。

[1717年 32歳]
ジョージ1世のテムズ川での船遊びで『水上の音楽』を演奏。

[1719年 34歳]
イタリア・オペラを運営するための「ロイヤル音楽アカデミー」設立。

[1724年 39歳]
オペラ『ジュリオ・チェーザレ』をヘイマーケット国王劇場で初演。

[1727年 42歳]
イギリスに帰化。ジョージ1世死去、ジョージ2世即位。

[1734年 49歳]
ロイヤル音楽アカデミーが終了、独立興行へ。

[1737年 52歳]
脳卒中で倒れる。

[1738年 53歳]
オペラ『セルセ』を初演するが不評に終わる。慈善活動に取り組み始める。

[1742年 57歳]
ダブリンの慈善演奏会でオラトリオ『メサイア』初演。

[1743年 58歳]
『メサイア』をコヴェントガーデン王立劇場でロンドン初演。

[1749年 64歳]
『王宮の花火の音楽』をオーストリア継承戦争終結の和議を祝う祝典式で演奏。

[1750年 65歳]
捨子養育院での『メサイア』慈善演奏会を慣習化。

[1753年 68歳]
白内障が悪化し失明。

[1757年 72歳]
最後のオラトリオ『時と真理の勝利』(英語版)をコヴェントガーデン王立劇場で初演。

[1759年 74歳]
4月14日死去。ウェストミンスター寺院に埋葬。3000人の参列者が集まる。

[1762年]
ヘンデル記念像、ウェストミンスター寺院にて除幕。

ヘンデルの名曲

18世紀前半の激動の時代を駆け抜けたヘンデル。イタリア・オペラの全盛期とその衰退を目の当たりにし、聴衆が求める音楽を探りながらオペラの形式を駆使して、「オラトリオ」(主に聖書の内容に基づく合唱・独唱曲で、演技や舞台演出を伴わない)を成功させるなど、転んでもただでは起きない不屈の作曲家でした。

生涯で42曲のオペラ作品を作曲、そのほとんどを移住先のロンドンで初演しましたが、当時の慣例としてイタリア語で作曲しています。オラトリオ作品は31曲で、英語のオラトリオが26曲と大部分を占めます。

オペラ、オラトリオも名曲揃いですが、器楽曲も「聞いたことある」という曲がたくさんあります。ヘンデルの代表曲の一部をご紹介しましょう!

「私を泣かせてください」オペラ『リナルド』より Lascia ch’io pianga

映画『カストラート』

1994年公開の映画『カストラート』の挿入歌でも有名になりました。映画ではカストラートの声に、男声のカウンターテナーと女声のソプラノの声を合成した声が使われています。

ヘンデルがロンドンに初めて訪れた翌年の1711年、ロンドンで初演したオペラ『リナルド』は大成功を収めました。これは、主人公リナルドのいいなづけアルミレーナが、囚われの身で歌うアリアです。
実はこの曲、ヘンデルが初めて書いたオペラ『アルミーラ』の旋律が使用されています。この旋律はヘンデルのお気に入りだったようです。

メサイヤ「ハレルヤ」ケンブリッジ・キングスカレッジ合唱団

現在も世界中で演奏される、ヘンデルの傑作『メサイア』。中でも「ハレルヤ・コーラス」は飛びぬけて有名な合唱曲の名曲です。

『メサイア』はヘンデルが1741年に作曲したオラトリオで、聖書のイエス・キリストの生涯と復活を題材としています。1743年のロンドン初演時、臨席していた国王ジョージ2世が「ハレルヤ・コーラス」で感動のあまりに立ち上がったことから、現在も「ハレルヤ・コーラス」が始まると聴衆が起立することがあります。

ヘンデルはオラトリオ作品で、イギリス人による英語での歌唱を重視しました。ソリストはカストラートではなくイギリス人歌手を起用し、大規模な合唱が重要な位置を占めています。

1750年以降は、『メサイア』による慈善演奏会の収益をロンドンの捨子養育院に寄付し続けました。遺言で『メサイア』の総譜を捨子養育院に寄贈し、自分の死後も慈善演奏会を継続できるようにしています。常に弱者に心を寄せるヘンデルの精神は死後もイギリスの人々の尊敬を集め、イギリス国内で神格化されていきました。

「調子の良い鍛冶屋」『ハープシコード組曲第1集』より The Harmonious Blacksmith

ヘンデルが1720年に出版した『ハープシコード組曲第1集』に収められた、第5番ホ長調第4曲「エアと5つの変奏」で、通称「調子の良い鍛冶屋」と呼ばれています。

ハープシコードは、ドイツ語やイタリア語でチェンバロともいいます。ピアノの前身の鍵盤楽器で、内部の弦をギターのようにはじいて鳴らします。

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チェンバロ 出典:Wikimedia Commons

オペラやオラトリオなど大曲の影に隠れがちですが、ヘンデルはハープシコード作品を99曲も書いています。『ハープシコード組曲第1集』は、1717年頃に作曲したレッスン曲を収載しています。この曲になぜ「調子のよい鍛冶屋」の通称がついたのか定かではありませんが、リズミカルな旋律が次々と変奏していく様子は、小気味よい鍛冶屋のハンマーの音を想起させたのかもしれません。


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神保 智 じんぼ ちえ 桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コース声楽科在学中。子どものころから合唱団で歌っていた歌好き。現在は音楽大学で大好きなオペラやドイツリートを勉強中。

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