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ローベルト・アレクサンダー・シューマン|Robert Alexander Schumann

2音楽史における位置や特徴

2.1 文学と音楽

シューマンの人生の中心には絶えず音楽があったが、文学も決して切り離すことができない。
シューマンの父アウグストが書籍出版業を営んでいたこともあり、シューマンは幼少期から文学に親しんでいた。特に熱を上げて愛読していた作家はドイツの小説家ジャン・パウル(1763-1825)であり、作曲にも影響を受けた。シューマンのピアノ曲『パピヨン(蝶々) Papillon』Op.2は彼の『生意気盛り』という小説からインスピレーションを得て作曲されている。また、自身も文章を書くようになり、音楽評論家として『新音楽時報』で執筆活動を続けた。
このように、シューマンが文学から受けた影響は計り知れない。

シューマンの創作活動において、文学から多大なる影響を受けた作品で忘れてはならないものは何であろうか。それは「歌」であると思われる。文学と音楽が結びつき創作活動が大きく花開いたのは1840年「歌の年」であり、シューマンは多くの歌曲を作曲した。また、生涯を通して合唱曲や歌劇等も残している。

音楽の中で、歌には詩がある。言葉がある。シューマンの歌曲は、しっかりと詩を読み込み作られており、その詩の世界に没頭し物語の主人公に憑依しているのではないかと思われるほど、人の感情や心の機微の細部まで読み取ることができるように感じられる。
終わりに、シューマンがクラーラへ書いた手紙の中の文章を引用したい。

「きのう早くから私は新しい27枚の譜を書いている。これについては、ただ私はうれしくて泣いたり笑ったりしているとよりほかにいえません。旋律と伴奏は私をほとんど殺しそうだ。私はそのなかに落ち込んでしまうでしょう。しかしクラーラよ、歌を書くということは、なんと幸福なことでしょう」

2.2 シューマンの精神疾患

晩年、シューマンは自ら精神病院へ行くことを希望し余生を送ったが、精神の不調は姉エミーリエや父アウグストの死を経験した15歳の頃から影を潜ませ、徐々に彼を蝕んでいったように思われる。

シューマンの精神疾患については、病跡学(Pathography)の分野で、現在に至るまで様々な論争が繰り広げられてきた。ここでは詳しく触れないが、多くの医者や研究者によって相当な数の病名が可能性として挙げられ、診断されている。シューマンが入院していた病院の病院長であったリヒャルト博士は、死後直後の解剖で不完全麻痺と診断した。リヒャルトの所見では、シューマンの気質が精神的不調の基本傾向となり、様々な精神的障害を引き起こしやがては全身全域に悪影響を及ぼしたものとしており、「この病気の主要な外的要因のひとつは過度の精神的酷使である。」と診断している(岸田緑渓著『音楽と病理』p.48)。

主な症状は躁鬱状態と不安神経症と考えられるが、リヒャルトがシューマンの気質について触れているように、生来の気質や性格の影響も少なからずあったのであろう。手紙や日記等に細かく記されいる精神状態やそれに起因する症状は、生涯に渡りシューマンを苦しめることとなった。その状況下における作曲活動とあれば、作品への影響を無視することはできない。特に躁状態であったと思われるクラーラを想って作曲された幾つもの歌曲は、シューマンの感情の起伏の激しさや病的な部分からこそ生まれえた作品ではないであろうか。

2.3ロマン派の中でのシューマン

冒頭で挙げたように、シューマンの周りには後に名が残る音楽家達が多く存在した。

まず、ドイツロマン派で、シューマンが生まれる前には「歌曲の王」と呼ばれたフランツ・シューベルト(1797-1828)が多くの歌曲を残した。シューマンはシューベルトの曲を演奏することもあったし、彼が亡くなった日には大号泣したと言われている。

1810年にはシューマンの他にフレデリック・ショパンが生まれている。直接関わりあうことはさほどなかったが、批評活動で彼の音楽を取り上げることもあり、同年代の彼の音楽に触発されることもあったであろう。ヨハネス・ブラームスとは深い親交があったし、シューマンが亡くなった後も妻であるクラーラやその子ども、孫まで交流が続いた。
そして、誰よりも身近で、ピアノ演奏や作曲等、音楽活動をしていたクラーラの存在があったからこそ創作された作品が多く残っていることは、すでにご承知の通りである。

上記に挙げた他にも才能ある音楽家達が大勢いた。シューマンは音楽批評活動をしていたこともあり、他の音楽家に比べて、同時代に生まれた音楽家達の作品から受けた影響は大きかったのではなかろうか。純粋に音楽を愛し続けたシューマンの作品は、それらの音楽を自身の血肉とし、独創性とロマンチシズムを持って独自の音楽を確立していった。

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