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ローベルト・アレクサンダー・シューマン|Robert Alexander Schumann

3代表作品

3.1『子どもの情景』|Kinderszenen Op.15

1838年に作曲され全13曲からなる作品集。その中で、第7曲目の『トロイメライ Träumerei 』(夢)は代表的な作品である。クラーラがシューマンに書いた「時々あなたは子供のように思えます」という言葉が彼の心に留まり、その余韻の中で作曲された(『作曲家別名曲ライブラリー シューマン』音楽之友社 p.169)。

小作品が30曲ほど完成した後、その中から13曲を厳選し、『子どもの情景』とした。タイトルから「子どものための作品集」という意味でも捉えられやすいが、内容は決して容易くはなく、童心を忘れないシューマンの名曲集であり、シューマン自身も大変お気に入りの曲集である。

3.2『ミルテの花』|Myrthen Op.25

『ミルテの花』Op.25はクラーラと結婚する前の1840年2月から4月に作曲された作品である。1840年は「歌の年」と言われ、シューマンの創作意欲が非常に刺激された時期であり、歌曲の創作に最も熱が入った年である。全26曲からなり、ハイネやゲーテ、リュッケルトなどの詩人の作品が使用された。
第1曲目は『献呈』から始まり、美しいメロディは後にフランツ・リストによりピアノの独奏曲としても編曲されているほどである。この曲集は、シューマンからクラーラへ結婚式の前夜に贈り物として捧げられ、2人にとって思い出に残る大切な作品集である。

『献呈 Widmung』

3.3『詩人の恋』|Dichterliebe Op.48

『ミルテの花』Op.25と同じく1840年「歌の年」に作曲され、詩はハイネの『歌の本 Buch der Lieder』から採択された。青年の恋模様が全26曲を通して描かれている作品である。

第1曲目『美しい5月 Im wnderschönen Monat Mai』は、愁いを帯びた旋律に乗せて青年が愛の始まりを自然の芽吹きになぞらえて語る。第2曲目以降は愛を告げた女性に対するときめきや愛おしさ等の熱い想いがシューマンの色彩豊かな音楽によって表現されている。

第7曲目『私は嘆くまい Ich grolle nicht』で、青年は失恋の痛みを知る。失った人の喪失、怒り、悲しみ、自分の気持ちと葛藤している様子が伴奏部分の和音の連打も相まって、力強い感情の表出を感じさせる。第8曲目以降は愛する人の花嫁姿の舞踏シーン、男と女の恋愛にまつわる昔話を織り交ぜながら、青年の悲しみが悲壮な旋律で、時に慰めがやさしい旋律で美しく描かれている。

最後は第16曲目『いまわしい想い出の歌 Die alten bösen Lieder』で、恋の想い出と悩みを海へ沈めようと今までの恋に終止符を打つ曲でこの曲集を締めくくった。

3.4『交響曲第3番 変ホ長調 ライン』
|Symphonie.Nr.3 Es-dur “Rhein”Op.97

1850年11月から12月にかけて約1か月という期間で作曲されたこの交響曲は、翌年の1851年2月6日にドュッセルドルフにてシューマンの指揮で演奏された、シューマン最後の交響曲である。※1

1850年は、シューマンがデュッセルドルフの音楽監督に就任することに伴い、活動の拠点がドレスデンからデュッセルドルフへと移り生活環境が変化した時期であり、交響曲や協奏曲など大きな作品が創作された。また、シューマンが唯一完成させた歌劇『ゲノヴェーヴァ Genoveva』Op.81の初演を行うなど精力的に活動した時期である。

さて、この交響曲は「ライン」という題である。ライン河と言えば、ローレライの岩山の伝説(美女が美しい声で船人を魅惑して川底に引きずり込んでしまう)を思い浮かべる人もいるのではなかろうか。実は、この題はシューマンがつけたものではなく、後からつけられたものである。しかし、全く関係がない訳ではなく、シューマンが第2楽章で「ライン河の朝」と表題をつけ、後に削除された経緯を持つ。第1楽章~第5楽章を通して、ライン河の流れや周辺の自然の豊かさを連想させる非常にダイナミックで自然の美しさと荘厳さを表現しているかのような生き生きとした音楽となっている。

1 交響曲第3番の後に交響曲第4番があるが、交響曲第4番が作曲されたのは1841年であり、出版年月が交響曲第3番より遅かったために番号が逆になっている。

3.5『ピアノ協奏曲』|Klavier konzert a-moll Op.54

シューマンのピアノ協奏曲の中で最も代表的な1曲である。そもそも未完のものや第1楽章だけで完結されている作品が多いためであるが、この協奏曲も初めはそうであった。
1841年に第1楽章のみが作曲され、他の楽章を作る前に妻であるクラーラによって初演された。出版はしばらくされず、メンデルスゾーンのピアノ協奏曲に触発され、数年経った1845年に第2楽章と第3楽章を作曲し完成とした。完成してからの初演もクラーラが引き受け演奏した。


参考文献
シューマン(1958年)『音楽と音楽家』吉田秀和訳 岩波書店
若林健吉(1971年)『シューマン 愛と苦悩の生涯』ふみくら書房
岸田緑渓(1993年)『シューマン 音楽と病理』音楽之友社
音楽之友社(1995年)『作曲家別名曲ライブラリー シューマン』音楽之友社
ピート・ワッキー・エイステン(2015)『シューマンの結婚 語られなかった真実』風間美咲訳 音楽之友社


執筆者

高木 未佳 たかぎ みか
埼玉県出身。埼玉県立芸術総合高校卒業。日本大学芸術学部音楽学科声楽コース卒業。同大学院芸術学研究科音楽芸術専攻修了。現在はNPO法人「音楽で日本の笑顔を」にて、音楽を通じた地域コミュニティ作りを醸成する指導員として従事している。


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