ヘルマン・ヘッセ『荒野のおおかみ』×モーツァルト 小説を彩るクラシック#17

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
『ドン・ジョヴァンニ』

ヘルミーネに誘われたハリーは、仮装舞踏会へ出かけていきます。麻薬による幻覚なのか、それとも空想なのか、物語は現実から大きく逸脱していきます。

今夜四時から魔術劇場
――入場は狂人だけ――
入場料として知性を払うこと

ハリーは、こう書かれた厚紙を見知らぬ男に手渡されました。ごった返す会場内では、さまざまな不可思議な体験が起こります。

幼年時代の友だちが現れ、戦争さながらに銃を撃ちまくり、殺人を犯す、そうかと思えば、失われた初恋の女性との淡いロマンス……何度かの場面転換が行われ、鏡に映る自分との対話。

鏡の中に“荒野のおおかみ”は存在せず、そこには人間“ハリー”が映っていました。そして美しく恐ろしい音楽が鳴り響きモーツァルトが現れます。

「私たちはどこにいるんですか」と私はたずねた。
「ドン・ジョヴァンニの最後の幕さ。レポレロはもうひざまずいている。すばらしい場面だ。音楽も聞けるじゃないか。それはまだ非常に人間的なものをいろいろと内部に持っているが、すでに彼岸が、笑いが感じとられるじゃないか」

ハリーはモーツァルトに「(ドン・ジョヴァンニこそが)人間によって書かれた最大の大きな音楽です」と賛辞を送り、シューベルトフーゴー・ヴォルフショパンベートーヴェンを引き合いに出して、この作品はそれ以上だ、と断定します。

モーツァルトは「そう力んではいけない」とハリーに言い、ユーモアの大切さを説きました。

「悲壮ぶりや殺害はもう打ち切りにしなきゃいけない。いいかげんに理性に帰りたまえ! 君は生きなければならない、笑うことを学ばねばならない。人生ののろわれたラジオ音楽を聞くことを学ばねばならない。その背後にある精神をあがめなければならない。その中のから騒ぎを笑うことを学ばねばならない。これでおしまい。これ以上君に求めることはない」


自らを“荒野のおおかみ”と称し、行きつく先は「自殺」という生き方を選び、50歳近くまで生きてきたハリーですが、ヘルミーネとの出会い、鏡の中の自分との出会い、青春のすべてであるモーツァルトとの出会いを経て、「笑う」ということを覚えます。そしてそれは「生きる」ということと同義だったようです。

“荒野のおおかみ”の物語はここで終わりますが、人間“ハリー”としての物語はここからスタートしていきそうです。


参考文献
ヘルマン・ヘッセ(1971年)『荒野のおおかみ』
高橋健二訳 新潮文庫


小説を彩るクラシック
小説を彩るクラシック#14~ヘッセ『デーミアン』
小説を彩るクラシック#16〜メーリケ『旅の日のモーツァルト』
オペラあらすじ『ドン・ジョヴァンニ』
モーツァルト「おれの尻をなめろ」とは!?


1982年、福島県生まれ。音楽、文学ライター。 十代から音楽活動を始め、クラシック、ジャズ、ロックを愛聴する。 杉並区在住。東京ヤクルトスワローズが好き。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。