恩田陸『蜜蜂と遠雷』×J.S.バッハ『平均律クラヴィーア曲集 第一巻』~小説を彩るクラシック#30


『蜜蜂と遠雷』登場人物


この物語の主な登場人物は、神に愛されたとしか思えない天然の天才少年16歳の風間塵(かざまじん)、かつて天才少女としてデビューしながら母の死以来、ピアノが弾けなくなった栄伝亜夜(えいでんあや)20歳、楽器店勤務のサラリーマンピアニスト高島明石(たかしまあかし)28歳、完璧な技術とカリスマ性を備えた名門ジュリアード音楽院に通う19歳マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。

幼少期からピアノにすべてをかけてきたコンテスタントたちが、コンクールを舞台に繰り広げる戦いと友情、葛藤を描いています。

あらすじ まったく経歴の違うピアニスト4人による音楽群像劇!

風間塵

世界5都市で行われるピアノオーディション。
パリのオーディション会場では、これといって耳を惹く演奏者が現れず、審査員の嵯峨三枝子(さがみえこ)は退屈していました。 そんな中、候補者の書類の中に「ジン カザマ」という名前を見つけます。経歴やコンクール歴が真っ白という書類の中に、「ユウジ・フォン=ホフマンに五歳から師事」とだけ書かれていました。

ホフマンは亡くなったばかりの伝説的な演奏家で、クラシック音楽の世界では最も影響力のある人物です。弟子を取らないことで有名なホフマンに教え子が?三枝子は驚きます。

風間塵は、オーディション会場に泥だらけの手でやってきます。遅刻して会場に入った塵は、養蜂家の父の手伝いをしていたもので……と告げ、3人の審査員の前でいそいそと演奏を始めます。

なんて凄まじい──なんて、おぞましい。
混乱し、動揺しながらも、三枝子は貪るように少年の音色に聴き入っていた。
~略~
純度の高いモーツァルトを弾く時、誰もが必死に自分をモーツァルトの純度まで引き上げようとする。無垢で混じりけのない音楽を表現しようと、目を見開き、無垢さと音楽の歓びを強調しようとするのだ。しかし、少年はそんな演技をする必要が全くなかった。リラックスしてピアノに触れているだけで、勝手にそれが溢れだしてくるのだ。その豊かさ。しかも、まだ余裕がある。これが彼のベストではないということが窺える。途方もない才能を目にするとは、恐怖に近い感情を喚び起こすものなのだ。


風間塵の圧倒的な演奏に3人の審査員は顔を見合わせて呆気にとられます。やがて絶賛し、彼を合格にしようと言うのですが、三枝子は「これはホフマン先生に対する冒瀆だ。わたしは絶対に合格には反対だ」と言い出します。
審査員の1人が、三枝子にホフマンからの手紙を渡します。そこにはこう書かれていました。

「皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。恐らくは、天から我々への。だが、勘違いしてはいけない。試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。彼は劇薬なのだ。中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうかは、皆さん、いや、我々にかかっている。
ユウジ・フォン=ホフマン」


この手紙を呼んだ三枝子は、自分を恥じ、塵はオーディションを合格となります。

栄伝亜夜

亜夜は幼い頃から神童として名を馳せますが、13歳のときに彼女を支えてくれていた母親が急死。
ピアノを弾く理由を失ったように感じた亜夜は、コンサートのステージから逃げ出し、ピアノから離れて生きていくことになります。
音楽自体は好きだった亜夜は、遊びでロックやフュージョンのバンドを組んだりはするのですが、真剣にピアノと向き合うことは避けて過ごしていました。

大学進学を考え始めたころ、亜夜の前に母親と音大で同期だった浜崎が現れ、ピアノを聴かせてくれないか、と頼まれます。
「最近、好きな曲でもいいですか?」そう言って亜夜はショスタコーヴィチのソナタを弾きます。

「これ、誰か先生に聴いてもらった?」
浜崎は彼女に訊ねます。
「いえ、今は誰にも師事していないんで」
自己流でここまでとは
浜崎は亜夜の演奏に可能性を感じ、自らが学長を務める日本でもトップクラスの私立音大に彼女を入学させることを決めます。
こうして「消えた天才少女」の時間が再び動き出します。

高島明石


コンテスタントの中で最年長の高島明石は、「孤高の音楽家だけが正しいのか? 音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?」と常々考えていました。

28歳で、妻子を持ち、楽器店で働く身ですが、「生活者の音楽」の可能性と、息子に音楽家を目指していたという証を残すために芳ヶ江国際ピアノコンクールに参加することを決めます。
その話を聞きつけた高校の同級生である仁科雅美は、コンクールのドキュメンタリーを撮りたいと明石にオファーを出し、明石はそれを了承します。

ピアノは天才のためだけにあるものじゃない、という生活者の覚悟を胸に秘めて、明石の戦いが始まります。

マサル・カルロス・レヴィ・アナトール

フランス人の父と、日系三世のペルー人を母に持つマサルは、フランスから渡米し現在はジュリアード音楽院に在学しています。
世界的な音楽家で、ジュリアードの教授でもあるナサニエル・シルヴァーバーグに師事しているマサルは、コンクールの優勝候補筆頭。甘いマスクとカリスマ性から貴公子と呼ばれ、注目を集めています。

マサルがピアノを始めたきっかけは、日本に住んでいた時代に偶然出会った少女に連れられてピアノ教室に遊びにいったことからでした。
アーちゃんと呼んでいた女の子とピアノを弾く中で、音楽の楽しさを知ったマサルは、アーちゃんに「フランスに行ってもピアノは続けるよ」と約束します。
コンクール中にマサルは、アーちゃんは栄伝亜夜であることに気づき、その運命に驚き、また、その導きに感謝します。

1982年、福島県生まれ。音楽、文学ライター。 十代から音楽活動を始め、クラシック、ジャズ、ロックを愛聴する。 杉並区在住。東京ヤクルトスワローズが好き。

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