日本の長崎が舞台のオペラ、プッチーニ【蝶々夫人】あらすじ紹介からジャポニスムまで
『蝶々夫人』というオペラを、観たことはなくても名前はご存じなのではないでしょうか?長崎を舞台にしたオペラなので、どこかで目にしたことがあるかもしれませんが、このオペラは世界的にも超有名!
『マダム・バタフライ』という英語のタイトルもよく使用されます。ちょっと昔の本などでは、『お蝶夫人』という日本語タイトルも見かけます。「お蝶夫人」というと、このオペラから名前を借りた少女漫画『エースをねらえ!』の登場人物の、華やかで凛々しいお嬢様のイメージが先に来るかもしれません。「マダム・バタフライ」の名前も、香水やバラの品種などで、可憐な日本女性を表す象徴的な名前として引用されています。
ミラノ・スカラ座初演のポスター(1904年 レオポルド・メトリコヴィッツ版)出典:Wikimedia Commons
19世紀のヨーロッパの人々にとって、日本は遠い未知の国。日本の開国後、浮世絵や工芸品を通じて日本の文化が知られるようになり、ヨーロッパで一気に日本趣味のジャポニスムが高まります。総合芸術としてのオペラで、ジャポニスムの極致を目指したのがジャコモ・プッチーニ(1858-1924)です。
オペラ『蝶々夫人』は、プッチーニの甘美な音楽によって世界中に広がり、日本という国の国際的イメージさえ形成していきました。
オペラ『蝶々夫人』とは?
~蝶々さんへの憧れが世界中に~
海外では、日本の女性は「優しくておとなしい」「従順で男性を立ててくれる」というイメージを持たれている、という話を聞いたことはありませんか?確かに他国の女性と比べると控え目かもしれませんが、日本人からすると、日本人女性に対する理想?妄想?が強すぎるんじゃない?と思ってしまいます。
このような日本人女性のイメージ形成に一役買っているのが、『蝶々夫人』かもしれません。このオペラは現在も、世界中のオペラ劇場で上演されています。しかも、ダントツ人気の演目なのです。
一般庶民がまだ海外旅行などできなかった時代、このオペラで日本という国を知った世界の人々も多かったことでしょう。ヒロイン蝶々さんの一途な姿は、各国の劇場に詰めかけた観客に、遠い海のかなたに純真で可憐な女性が住む島国があるという憧れを抱かせたのです。
蝶々夫人|Madama Butterfly
原作:デイヴィッド・ベラスコ『蝶々夫人』(戯曲)
ジョン・ルーサー・ロング『蝶々夫人』(短編小説)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ、ルイージ・イッリカ
作曲:ジャコモ・プッチーニ
初演:1904年2月17日ミラノ、スカラ座
構成:全2幕(3幕とすることもある)
上演時間:約2時間40分
オペラ『蝶々夫人』先読みあらすじ
では、『蝶々夫人』のあらすじを簡単に見てみましょう。
明治のころの長崎。芸者の蝶々さんは、アメリカ海軍士官のピンカートンと結婚する。ピンカートンは短期滞在の現地妻として軽い気持ちだが、蝶々さんはキリスト教に改宗までして一生添い遂げようと心に決めている。
やがてピンカートンはアメリカに帰っていき、コマドリが巣を作るころに戻ってくると言っていたのに何の連絡もない。結婚から3年後、アメリカの軍艦が港に着くが、ピンカートンはアメリカ人女性ケイトと正式に結婚していた。絶望した蝶々さんは、ケイトにわが子を引き渡すと約束して自害する。
次のページ:オペラ『蝶々夫人』登場人物とあらすじ
この記事へのコメントはありません。