• HOME
  • 作曲家
  • ジョージ・ガーシュイン|George Gershwin 1898-1937

ジョージ・ガーシュイン|George Gershwin 1898-1937

音楽史における位置と特徴

クラシックとジャズ

現代にあって一般的にクラシックとジャズ(ジャズを含むポップスと言い換えてもよいが)は明らかにジャンル分けされて語られるが、そもそもクラシックとジャズの区別について、はっきりここが境界線だということは難しい。

歴史的に見れば、クラシックは[音楽の父]バッハ辺りから考えて400年ほどの歴史を持つヨーロッパ生まれの音楽、ジャズはアメリカ南部ニューオリンズから発生した100年ほどの歴史を持つアメリカ生まれの音楽であるが、ジャズはアフリカのリズムとヨーロッパの音楽が合わさって生まれたものであるから、クラシックの一つの支流と見ることもできる。

楽譜があり、その中に作曲者の意図を見出して音を忠実に再現しながら作品世界を紡ぐ音楽(毎回音の組み立ては同じになる)のがクラシックで、展開を表すコード譜に基本のメロディのみが書かれていて(場合によってコード展開のみで楽譜なしという形で)インプロビゼーション※4 で演奏が進んでいく(毎回一回性で音の組み立て自体異なる)のがジャズ、というのが一般的な説明だが、ジャズオーケストラやビッグバンドではいわゆるソロ以外の部分の各パートにはきちんと音を定めた楽譜があるし、それはソロ楽器にアドリブ箇所のあるクラシック作品と厳密には区別をつけにくい。

また、作曲者の創作動機に基づく芸術音楽がクラシックで、聞き手の耳を満足させることを目的にした大衆音楽がポップス、ジャズであるという説明もあるが、自らの創作動機と聞き手の耳を満足させようという意図は元々反目するものではなく、せいぜいどちらの要素がより強いかくらいの判断を下すしかない。そういう意味で、両者の境界線を定めること自体にあまり意味はないように思える。現に、世界ではクラシックとポップス、ジャズにはっきりと線引きをせず、その両方を取り入れ、行き来する音楽教育を高等教育として正式に行っている国もある。

※4 即興演奏、アドリブ

クラシックかジャズか

では、ガーシュインの音楽はどこに位置づけられるものなのか。彼にとって人気作曲家への一歩目となった歌曲『スワニー』はラグタイム風であり、作られた経緯から言っても明らかにポップスと呼んでよいと思われる。しかし、『ラプソディ・イン・ブルー』はどうか、『ピアノ協奏曲へ調』はどうか、『パリのアメリカ人』はどうか。

音楽教育の中では『ラプソディ・イン・ブルー』はクラシック音楽の流れの中で語られ、演奏の場面もクラシック音楽の場であることが普通で、既にクラシック、芸術音楽として評価を得ている。しかしまた同時にジャズの要素がふんだんに盛り込まれており、発表当時から『シンフォニック・ジャズ』として高い評価を受けていたわけで、やはりクラシックとしてもジャズとしても重要な作品と言えるだろう。

これが前述の『ピアノ協奏曲へ調』になると、さらに形式として伝統的な協奏曲に近づいてくる。ガーシュイン自身独学で音楽理論を学び、『ラプソディ・イン・ブルー』と違って、すべて自分でオーケストレーションした作品であるが、音楽の中身はジャズの要素であふれている。当時もクラシックかジャズかという論争はあったようで、ストラヴィンスキーは高く評価し、プロコフィエフは評価しなかったという話が伝わっている。しかし、現在において実際の演奏場面は明らかにクラシックの舞台であり、もはや芸術音楽としての評価は定まっていて、クラシックであり同時にジャズでもある傑作であると言える。

交響詩『パリのアメリカ人』になると、元々がニューヨーク・フィルの委嘱によって作られたこともあり、本人もクラシックとしての文脈で取り組んだもので、これも[シンフォニック・ジャズ]の代表作であり、もはやどちらのものと決めることに意味を見出せない。しかし、いまだにクラシックとジャズ、ポップスを完全に分けてものを言う専門家はいて、クラシックの本筋で語られないことが多いのも事実である。これはジャズの側からも同じことが言える。

音楽史の流れ

いわゆる[音楽史]はヨーロッパ中心のクラシック音楽の歴史である。19世紀を支配したロマン派音楽は、それまでの調和のとれた形式美を追求する古典派音楽から、さらに複雑な和声、アーティキュレーションにより人間の内面、感情を追求することで豊かな表現を生み出す。

それはさらに進化を見せ、19世紀後半にはドイツ、イタリア、フランスといったクラシック中心部に対して北欧、東欧、ロシアなどの周辺部で国民楽派と呼ばれる民族主義的クラシック音楽が生まれる。また、クラシック中心地のひとつフランスでは20世紀に入って不協和音や全音音階により曖昧な和声進行で構成された印象主義音楽が生まれる。

そしてそれらと異なる文脈で、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ移民とアフリカン・アメリカンによるプロテスタントの国アメリカでジャズが生まれた。アフリカン・アメリカンたちのルーツであるアフリカのリズムや、奴隷労働の苦しさを昇華させようと生まれた黒人霊歌などの黒人音楽、楽器演奏によるヨーロッパの伝統的音楽が結びついた新しい音楽である。

アメリカ音楽

ヨーロッパの窮屈な伝統から自由になろうとするアメリカの持つ意識と、人種差別に抵抗し自由になろうとした黒人音楽の流れが結びついて、アメリカは大衆音楽、商業音楽に寄り添いながらアメリカ音楽としてのジャズを育てていくことになるのだが、一方で新興国としてヨーロッパのクラシックにコンプレックスがないはずもなく、ヨーロッパのクラシック音楽を積極的に受け入れた。(例えばドヴォルザークをニューヨーク・ナショナル音楽院の院長として招いたり、ロシア革命により祖国を離れたラフマニノフらロシア音楽家を受け入れたりした。)

それは結果的に、国民楽派的なもの、新ロマン主義的なもの、そして20世紀前半にヨーロッパ・クラシック音楽に大きな影響を与えることになる自国のジャズとを融合させて、アメリカ音楽を生むことへと繋がる。その第一人者がジョージ・ガーシュインであり、彼はまさに[アメリカ・クラシック音楽の父]と言える存在なのである。

彼が確立した[シンフォニック・ジャズ]は、その後のアメリカ音楽のひとつの大きな方向を決めたと言っても過言ではない。もちろん現在のアメリカの音楽も多様なものを含みこんでいるが、現代の代表的なアメリカ音楽と言って私たちが思い浮かべるレナード・バーンスタインやジョン・ウィリアムズ(彼らもまたクラシックとポップスを行き来する音楽家であり、アメリカ音楽を体現している)の音楽が、ガーシュインからの流れそのものであることを否定できる者はいないであろう。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。