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知られてない事実!ドビュッシー/印象派〜クラシック作曲家ドビュッシーは、印象派画家のモネや葛飾北斎の影響により、偉大なレガシーを作った

みなさん、クロード・ドビュッシー(1862-1918)という作曲家を知っていますか?
「音楽の授業で習って、名前は知っている」程度の知識の方が多いと思いますが、実は彼の作った曲はCM、ドラマ、映画などに多く使われて、私たちの耳にも馴染み深いのです。

彼の音楽を紐解く記事はよくありますが、今回は「画家とドビュッシー」に焦点を当て、同郷、同時代の印象派画家・モネとの関係、そして浮世絵師・葛飾北斎を筆頭とするジャポニスム(ジャポニズム)からの影響について触れてみましょう。

この記事を読んで、食事やお酒の席でドビュッシーの曲が流れた時に、「この曲って、葛飾北斎から影響を受けているのだよ」って話せると、ちょっとその席が文化的になり、カッコ良く注目されること請け合いです。

1. ドビュッシーが、なぜ印象派なの?

1.1
ドビュッシーは、印象派と言われている

ドビュッシーの生きた1900年前後のヨーロッパは、市民革命から産業革命を経て、社会と同じく、芸術は古典からコンテンポラリーな流れに大きく変わっていく時代でした。

絵画は、古典主義〜写実主義、印象派、象徴主義へ。音楽も絵画と同じように、古典ではなく革新的なものは、印象主義、象徴派と形容されていました。ドビュッシーは当時、多くの人から印象派と言われていました。

印象派の絵画の要素を初めて音楽に取り入れた、「印象派クラシック音楽家の先駆者」は、ドビュッシーと言われています。


1.2
「印象派」とは?

「印象派」という言葉は、まず美術の分野で生まれました。1874年フランス・パリで開催された、絵画のグループ展を美術批評家が「印象派画家たちの展覧会」として新聞記事で酷評したのです。

この時に出展されていた絵のひとつが、モネの『印象、日の出』でした。
「印象」は当時、スケッチや下書きという意味で使われる美術用語でした。

これによって世間に「印象派」という言葉が広まり、12年間で8回続いたこのグループ展のタイトルとなり、参加している画家たちとその芸術運動を指す言葉となりました。

クロード・モネ(1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)、エドガー・ドガ(1834-1917)などが有名です。


『日傘の女』クロード・モネ     『エトワール』エドガー・ドガ

『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』ピエール=オーギュスト・ルノワール

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