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ドヴォルザーク 交響曲第九番『新世界より』~西欧はアメリカで「何」を発見したのか?~

多くの方が学校の授業で聴いたであろうドヴォルザーク交響曲第九番『新世界より』。圧倒的なスケールと壮大なメロディ───ロマンそのもので構成されているようなこの楽曲は強烈な印象を残し、例えその名前でピンと来なくても、聴けばたちまち「嗚呼!」となる人も多いはずです。

数多くの美しいメロディがひしめき合うクラシックの中でも、ここまで聴き覚えのある楽曲は珍しいのではないでしょうか。例えば第二楽章での主旋律は、歌詞が付けられた『家路』としても知られています。その『家路』に漂う哀愁を指し、授業でこのように語られた記憶はありませんか?───

「このメロディはアメリカの黒人の歌を基にしています。『新世界より』の多くはそう作られているのです」

ところが実際に”アメリカの黒人の歌”、即ちブルースやR&B、ヒップホップを聴くようになってからこれを鑑みると、たちまちひとつの疑問にぶつかります。

「これのどこがアメリカの音楽なんだ?」ということです。

私たちが日頃聴くブラック・ミュージックと比較すると『新世界より』は極めて西欧的なオーケストラ楽曲、言わばザ・クラシックといった堂々とした風貌であり、そこに共通項を見出すことは決して簡単ではないでしょう。

その相反を示唆するようなドヴォルザーク本人の発言も残されています───

「この作品は以前のものと大きく異なり、わずかにアメリカナイズしています」

この言い回しはかなり独特ですが、彼は『新世界より』でどんな「アメリカ」を表そうとしたのでしょうか。

アメリカの「奇妙な音楽」とエキゾチシズム

「タトワイラーの駅で9時間も遅れた列車を待ちながらうとうとしていると、突然何者かに両肩をゆすられたような感覚に襲われ、私は驚いて目を覚ました。痩せこけたひとりの黒人が、私が眠っている間に隣でギターを弾きはじめたのだ。(中略)男は同じフレーズを三度繰り返して歌いながら、私がこれまで聴いたこともない奇妙な音楽をギターで奏でていた」

大和田俊之(2011年)『アメリカ音楽史』
講談社選書メチエ

後にブルースの父と呼ばれるW.C.ハンディが1903年に耳にした奇妙な音楽───それはミシシッピ州のデルタ地帯に普及していた黒人民謡音楽=ブルースでした。

その”父”という別称に反し、ハンディはブルースを生み出したのではなく発見した人物でしたが、アメリカ南部のアラバマ州出身の黒人であった彼がブルースを知らなかったことには、ブルースが貧しい黒人たちの音楽であり、対するハンディは中産階級の比較的裕福な家系に育ったことが関係しています。

土着的な黒人民謡というものを初めて知った彼は”奇妙な音楽”を基に様々な楽曲を生み出して人気を博しましたが、しかしそれは今思い浮かべるところの「ブルース」とは少々趣が異なります。

この楽曲群とブルースとの間にある一定の距離感にはドヴォルザークと近しいものが見受けられます。例えば彼の代表曲である”Memphis Blues”や””St. Louis Blues”をスローダウンさせオーケストラで演奏してみれば、それはたちまち「アメリカナイズ」したドヴォルザークの楽曲にも聴こえそうですが、いかがでしょうか。

W.C.ハンディにして極めて変わった印象を抱かせたブルースの特徴とは、ペンタトニック・スケールと呼ばれる5つの音による音階シンコペーションによる独特なリズムのアクセントにあります。西欧からするとペンタトニック・スケールやこの独特なリズムの感覚は一種エキゾチックであり、実に新鮮でした。両者は後にジャズやR&Bを通じて先鋭化していき、ブラック・ミュージックを形作る重要な要素として確立されます。

ドヴォルザークによる「ブラック・ミュージック」

ドヴォルザークがアメリカに滞在したのは1892年から95年にかけて、ニューヨークにあるナショナル音楽院の院長を勤めていた期間に当たります。

その頃に作曲した楽曲のひとつが『新世界より』ですが、残された記録によれば彼がそれを作曲したのは1983年のこと、W.C.ハンディがブルースを発見する10年前です。客観的に見れば当然、彼はブルースを発見していなかったはずですが、では一体彼は「アメリカの音楽」として何を把握していたのでしょう。

ここからは推測ですが、1867年にアメリカで刊行された『合衆国の奴隷の歌』という書物がそこに関係しているかもしれません。

Slave Songs of the United States (1867) title pageSlave Songs of the United States (1867) - Nobody Knows

これはウィリアム・F・アレンら3名の白人による黒人霊歌の歌集で、アメリカ南部において収集・採譜された計136もの楽曲が掲載されています。

キリスト教への信仰心を表した音楽である黒人霊歌はゴスペルの前身にあたり、黒人奴隷由来の音楽的要素に西欧的な価値観が微妙く混じっているものです。悪魔のモチーフも生じてくるブルースと一見対置しているようで、しかし音楽的な語法の多くを共有していることもひとつの特徴です。

ナショナル音楽院の院長であったドヴォルザークが、アメリカの音楽を知る手がかりとしてこの本を目にしていた可能性は高いでしょう。

黒人霊歌が含有している西欧的な感覚は、彼がアメリカを解読する際に有効であったことは容易に想像できます。実際、西欧音楽のルールに対して忠実に聴こえる『新世界より』には、前述したペンタトニック・スケールやシンコペーションが数多く見受けられます。

一方、ここではブラック・ミュージックの絶妙なフィーリングを醸す微分音(=12音階における半音よりもさらに狭い音程)は聴こえません。微分音が組み込まれた音階はインドネシアのガムランなど世界各地の民族音楽で見つけられますが、クラシックがそれらに対して意識的になるのはもう少し後のこと、現代音楽家たちのアプローチまで待たなくてはなりません。

これらを踏まえると、ドヴォルザークの為したことはこのようにまとめられるでしょう。

①西欧音楽のルールの範疇で、ブラック・ミュージック特有の音階やリズムを導入した

②西欧音楽の語法上にそもそも存在しなかった要素(微分音)への言及は避けた・発見しなかった / できなかった

今『新世界より』を聴くということ

『新世界より』に聴かれる数多くのメロディを指し、黒人奴隷やアメリカ原住民の旋律を引用している…と指摘されたドヴォルザークは以下のように反論したと言われています───

「私がインディアンやアメリカの主題を使ったというのは嘘です。私はただ、これらの国民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしただけです」

ここにはドヴォルザーク、そして彼を通して西欧がアメリカに発見したものが象徴されているように思います。そして同時に、美しいメロディをもたらした所作の背後には黒人奴隷の歴史が潜んでいることも忘れてはなりません。

その一種の搾取は19世紀から後にも断続的に起こり続けています───ロックンロールやヒップホップ、それらのすっかり白人のものに「も」なった音楽たちの始点では、西欧が彼らから奪い続けてきたものが常に示されているでしょう。

今『新世界より』を聴くということは、単に美しさに浸るだけでなく、そういった観点からも非常に有意義な経験になるのではないでしょうか。

そこに普遍的な美を見るか、ネガティブな意味合いも込めた時代の変わらなさと暴力を見るかは聴き手に委ねられています。


参考文献
大和田俊之(2011年)『アメリカ音楽史』講談社選書メチエ


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