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ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』×ベートーヴェン『弦楽四重奏曲』 小説を彩るクラシック#11

ミラン・クンデラ
『存在の耐えられない軽さ』哲学と文学に一石を投じた作品

ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』を発表後、現代文学界において重要な作家と目されるようになります。
(※小説を彩るクラシック#10参照)

この作品は世界各国でベストセラーとなり、1988年にアメリカで映画化。映画作品のほうでは、美しいヤナーチェクの旋律が全編を通して使われ、印象的な効果をもたらしています。

七部で構成されるこの大作は、哲学的であり、文学的であり、恋愛や青春の要素もあります。

また、舞台の一つに、「プラハの春(※1)」情勢下のチェコという、歴史的、政治的な背景も盛り込まれるなど、たやすく要約ができる小説ではありません。

※1…1968年に起きたチェコスロバキアの変革運動。
10 Soviet Invasion of Czechoslovakia - Flickr - The Central Intelligence Agency

『存在の耐えられない軽さ』

登場人物は主に4人で、外科医トマーシュ、ウェイトレスのテレザ、画家のテレーズ、大学教授のフランツです。

章ごとに登場人物は入れ替わり、「軽さ」、「重さ」といった主題を、人生、生活、男と女、音楽といったものを通して語られていきます。

あらすじ

クンデラは、ニーチェの「永久回帰」の思想から、我々は生の軽さを肯定するべきなのか?重さを肯定するべきなのか?という考察から物語を始めます。

古代ギリシアの哲学者パルメニデスを引用し、パルメニデスにとっては「軽さが肯定的なもの」とし、一方で「ベートーヴェンにとって重さは何か肯定的なものであった」と書いています。

この小説で何度も出てくるキーワードがあります。それは、

Muss es sein? (そうでなければならないのか?)
Es muss sein! (そうでなければならない!)

という言葉です。

これは、ベートーヴェン生涯最後の作品《弦楽四重奏曲 第16番ヘ長調》に書き込んだ言葉であり、物語の中で暗示的に使われます。

ベートーヴェン『弦楽四重奏曲』

トマーシュは過酷な情勢下のチェコを逃れ、医師として妻テレザとスイスで暮らしていましたが、ある日、テレザは「プラハへ帰る」と書置きを残して去っていきます。

初めはとても落ち込みますが、プレイボーイの彼は7年間の妻との思い出の中で苦労した場面(世話がやける、装い、偽り、落ち着かせ、愛を示さなければならない)を思い出し、「そういった煩わしいことは消え去った。ということは美しさだけが残ったわけだ……」と思い至り、独身者の自由な身分を楽しもう、存在の甘い軽さを楽しもう、と考えるようになります。

ですが、トマーシュは自身も祖国に帰る決断をします。病院長に「Es muss sein!」と言うと、院長は「Muss es sein?」と返しました。
ここには「運命」があり、「暗示」があったように思います。というのも、ベートーヴェンのカルテットを買うようにトマーシュに言ったのはテレザだったからです。

その後も、トマーシュが「本当にこうしなければならなかったのか?」と悩むシーンが現れ、この暗示的な言葉が繰り返されます。

2人が初めて出会った場面、ここではベートーヴェンの音楽が登場します。
ウェイトレスとして働くテレザの店にトマーシュがやってきて、彼女にコニャックを注文します。そのときに流れていた音楽がベートーヴェンの弦楽四重奏。そこで、テレザはある晩のコンサートを思い出しました。

彼女の住む街にカルテットがやってきて、コンサートを開きますが、その晩の観客はたったの3人。舞台の演奏者のほうが多いという状況でした。ですが、音楽家たちは好意的に、3人だけのために「ベートーヴェン最後の三つの四重奏」を一晩かけて演奏しました。

クンデラは「偶然」についてこう記しています。

「われわれの毎日の生活は偶然、より正確にいえば人びとや事件との偶然的邂逅、すなわち出会いに満たされている。出会いとは、二つの予期せざる事件が同時におこり、出会うことを意味する。トマーシュがレストランにあらわれ、同時にベートーベンの音楽がきこえてくる。こういう出会いの大部分に人は気がつかない。もしレストランでテーブルにトマーシュのかわりに地元の肉屋が座っていたら、テレザはラジオからベートーベンが流れていることに気づかなかっただろう(たとえ、ベートーベンと肉屋の邂逅もまた面白い出会いであっても)。しかし、彼女の中に火をともされた恋は美の意味を見つけ出し、彼女はその音楽をもう二度と忘れることはない。その曲をきくたびに感激させられるのだ」

偶然を賛美するクンデラらしい文章です。

偶然トマーシュにコニャックを頼まれ、偶然ベートーヴェンの音楽が流れだし、美しい記憶と結びつき、仕事が終わり、レストランを出ると、昨日自分が座って本を読んでいたベンチにトマーシュが座っている。そこにテレザは「運命」を感じる……このように、クンデラはテレザを偶然(運命)の体現者として描いたのでしょう。

また、テレザが読んでいる本について、その本は作曲のように構成されている、という描写があります。
美の感覚に導かれた人間は、偶然の出来事(ここではベートーヴェンの音楽)をモチーフに変えることができ、それは作曲家がソナタを作るときのようだ、と。

この小説は7部構成のうち

1部「軽さと重さ」
2部「心と身体」
3部「理解されなかった言葉」
4部「心と身体」
5部「軽さと重さ」

のように、5部までは3部を軸にしたシンメトリックになっていて、まさに作曲のように構成されているように感じます。

軽さは肯定するべきなのか?
または、重さは肯定するべきなのか?

存在とは?愛とは?人生とは?
4人の登場人物(カルテット)が、この主題をチェコの激動をくぐり抜けながら、奏でます。

小説『存在の耐えられない軽さ』は、クンデラの思考(哲学)と、文学が音楽的に融合した傑作です。


参考文献
ミラン・クンデラ(1998年)『存在の耐えられない軽さ』千野栄一訳 集英社


小説を彩るクラシック
小説を彩るクラシック#10〜ミラン・クンデラ『邂逅』


1982年、福島県生まれ。音楽、文学ライター。 十代から音楽活動を始め、クラシック、ジャズ、ロックを愛聴する。 杉並区在住。東京ヤクルトスワローズが好き。

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