『U.S.A.』でお馴染みDA PUMPの曲タイトルにもなった『ラプソディー・イン・ブルー』ってどんな曲?
『ラプソディー・イン・ブルー』といえば、クラシックとジャズの融合、アメリカ音楽の礎、ジョージ・ガーシュインが1924年に発表した有名な交響曲です。
クラシックは全然だけど、どこかで聞いたことがあるな?と感じた方もいるのではないでしょうか。『U.S.A.』(2018)で国内ヒットチャートに返り咲いたDA PUMPが1998年に発表した5th Single、14万枚を売り上げてスマッシュヒットしたその曲のタイトルもズバリ『Rhapsody in Blue』でした。
74年の時を経て同タイトルを掲げた両作に共通項はあったのでしょうか?
DA PUMPの『Rhapsody in Blue』
立役者はm.c.A.T
作詞は1990年代に名を馳せた日本のミュージシャンm.c.A.T、作曲・編曲は富樫明生であり、この二人は実は同一人物。
彼はポップミュージックとラップを融合させ日本のお茶の間に浸透させた方で、当時王道のヒップホップ畑の方からはかなり批判を受けたようです。
少々強引ですが、そういった意味ではクラシックとジャズを融合させ、当時物議を醸したジョージ・ガーシュインと同じ、時代の先駆者でした。
DA PUMP『Rhapsody in Blue』を聴いてみる
そんな彼がDA PUMPに提供した曲が『Rhapsody in Blue』なのですが、改めて聴き比べてみてもやっぱりm.c.A.T版からはジョージ・ガーシュインの曲調は感じとれない気がするけれど・・・
[Rhapsody]は、異なる曲調をつなぎ合わせたりするような自由奔放な構造を指す言葉であり、本家が”ブルース調の狂詩曲”という意味合いにもとれる複数の意味を持たせたタイトルであるのに対して、m.c.A.Tは文字通り”青い狂詩曲”という意味合いだけを純粋に使った、夏と恋の狂想曲といった趣きになっています。
曲調が途中でメドレーのように変わるという意味では曲の構造を踏襲していると言えなくもなく、意欲的なオマージュ作品と捉えると面白いですね。
ガーシュインの『Rhapsody in Blue』
曲名はどこから付けられた?
他にもそのままの名前で薔薇の品種にも使われており、どこか危うく、大変魅力的な響きをもつこの曲タイトルも後世に名を残すことに一役買ったものと思われますが、実はこれ、最初は『American Rhapsody』というタイトルでした。
作詞家の兄アイラ・ガーシュインとともに美術館に行き、そこで目にした絵のタイトルから想起して名前を『Rhapsody in Blue』に決定したのだそうです。
『ラプソディー・イン・ブルー』シンフォニック・ジャズの誕生
さて、ようやく『ラプソディ・イン・ブルー』ってどんな曲?という本題に入りますが、当時人気を博しジャズの王と呼ばれていたポール・ホワイトマンが、彼が主催の「現代音楽の実験」というタイトルのコンサートにガーシュインが出ると勝手に新聞掲載したことがきっかけで、わずか1ヶ月で作ったことのないジャズ風の協奏曲を作曲するはめになって生まれたという曰く付きの曲です。
まだ自分の曲をオーケストラへ落とし込むことに疎かったガーシュインは編曲を他人(ホワイトマンの楽団のピアニスト兼編曲者であったファーディ・グローフェ)に頼んでいます。
ただ、そんなドタバタの作曲経緯の中でも、大いなる挑戦的野心を持ってこの曲に取り組んだに違いないのは、当時の最先端のクラシック技法やラグタイム、ジャズやブルースの要素が一曲の中でぶつかり、ひしめき合いながらも同居させ得る斬新な発想が随所に見えるから。
そうしてこの曲は、クラシック音楽とジャズが融合した[シンフォニック・ジャズ]の数少ない成功例として世界的名声を得、同時にまだ黎明期であった多くの音楽がひとつのジャンルとして形を顕す一助ともなりました。
まさにガーシュインが生まれ、生きた当時のニューヨークの街の結晶のような作品になったのです。
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