『第九』をもっと楽しもう!年末の風物詩『第九』がもっと好きになるこぼれ話

7.『第九』と映像作品

映像作品で『第九』をBGMなどに利用したものは多数ありますが、特に有名なものを挙げると、世界では『時計じかけのオレンジ』、日本だとアニメ『エヴァンゲリオン』でしょうか。

ただ、そのどちらでもネガティブなシーンに使われており、それ故に観客の印象に残るものでした。

7-1. 『時計じかけのオレンジ』と『第九』


1971年公開のスタンリー・キューブリック監督の映画『時計じかけのオレンジ』は、近未来ロンドンが舞台のSF映画です。この映画において『第九』は物語のキーミュージックとして多くの場面で使われています。
斬新でサイケデリックな衣装や美術、架空のスラングを用いたセリフで表現した近未来世界の描写や、ストーリーの芯にあるメッセージの深さにより、多くの映画愛好家・評論家から高く評価されている作品です。

しかし一方で、暴力的な描写や性的な描写が過激で鮮烈に扱われ、アメリカでは試聴に年齢制限がかかりました。日本における『太陽の季節』と太陽族のように、この映画に影響されたという暴力事件が起こるなど大きなスキャンダルになった問題作でもあります。

あらすじに沿って、『第九』の出番を確認していきましょう。

主人公アレックスは殺人も性的暴行もおかまいなしの悪党で、ベートーヴェンを特に好むクラシック愛聴家です。
彼は不良仲間と共にある作家の家へ押し入ると、楽しそうに歌いながら作家とその妻へ暴行を振るい、金銭を奪う悪逆を尽くします。

作家夫婦を暴行するシーンで、主人公らは楽しそうに『雨に唄えば』を歌う。
ミュージカル映画『雨に唄えば』の幸せいっぱいなシーンの悪趣味なパロディであり、これも後述の”対位法”の一例。


その後バーでドラッグ入りのミルクを楽しんでいると、別の席で女性客が『第九』を歌い始めます。アレックスは、からかおうと大声を上げかけた仲間をステッキで叩いて黙らせ、聞き入ります。彼の『第九』への拘りが描かれます。
その晩、アレックスは暴力の余韻を楽しみながら『第九』を聴いて一日をしめくくります。この二度の『第九』が、主人公が邪悪かつ異常な人物であることを印象付けるために使われているのです。

やがて殺人を犯して逮捕されたアレックスは、刑期短縮のために人格矯正療法である”ルドヴィコ療法”の被験者になります。これは「苦痛を催す薬」を投与し、「残虐な暴力映像を強制的に見せる」ことで、暴力について考えるだけで苦痛を思い出すトラウマにさせてしまうというもの。実質の拷問です。
劇中の残虐な暴力映像のBGMに『第九』が使われており、映画上では主人公に対する拷問のBGMになっています。治療の結果、主人公は「暴力」と『第九』の二つに苦痛を感じるようになりました。

このシーンは映画ファンにはよく知られ、フィギュアとして商品化もされています。
瞼を強制的に開く器具をつけた姿はしばしばパロディされ、『ガンダム』『ヒロアカ』など有名な作品でも見られます。
なお、ルドヴィコはルートヴィヒのイタリア名。つまり、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを婉曲に指しています。


主人公は出所後、暴力を振るわない一見”真人間”になります。しかしトラウマを逃れるため機械的に善に従い悪を拒むだけで、他者から暴力を振るわれた際にもトラウマで抵抗不能になり、好きな音楽も苦痛に感じ、もはや見る影もない有様になってしまいます。

紆余曲折の末、彼は映画序盤に強盗した中年作家に捕らえられます。作家は”ルドヴィコ療法”に政治的に反対する立場であり、また事件後に病気で妻を亡くしていて、アレックスへの恨みも強めていました。
作家は自宅の最上階に主人公を監禁し、大音量の『第九』を聴かせます。唯一の逃げ場は窓の外。これにより主人公が飛び降り自殺をすれば、復讐も果たせるし、”ルドヴィコ療法”が問題を抱えていることを明らかにできると目論んだものです。この場面では『第九』が拷問そのものとして使われます。

主人公は作家の思惑通り飛び降りたものの一命を取り留めますが、この事件によって非人道的な”ルドヴィコ療法”は廃止。”ルドヴィコ療法”を勧めた政治家が支持率低下を避けるため、主人公からその影響を取り除き、完治をアピールするセレモニーを開きます。

セレモニーの場で大音量の『第九』を背景に、”完治”してしまった主人公は邪悪な笑みを浮かべて幕が下りるのでした。

邪悪な主人公の愛聴曲、二度の拷問の道具、ラストシーンでは邪悪の再来を予感させる……とてもではありませんが『歓喜の歌』とはほど遠い扱いです。

『第九』に着目するため本文では省きましたが、この映画には「善行と悪行を自由に選ぶ自由がなければ、人間性もなくなるのではないか」というメッセージが込められています。
マレーシア語でオレンジは人間を意味する言葉です。それを踏まえると、ルドヴィコ療法で悪行の選択肢を強制的に封じられ、機械的に正しい行いをする主人公はまさしく「時計じかけの人間(オレンジ)」。

日本人だとピンと来にくいかもしれませんが、キリスト教では「神は人間が善と悪を選ぶ自由を与えた」とされる一方、「完璧なはずの神が悪行を選べるようにしておくなんておかしくなぁい?」というパラドックスがあり、長年議論の的になっていました。
そこに「もし悪を強制的に選べなくしたら、人は人たり得ないんじゃないか」という見解をぶつける作品でもあるのです。

7-2. エヴァンゲリオン』と『第九』

次は有名な日本のロボットアニメ『エヴァンゲリオン』です。
この作品はテレビ放映された『新世紀エヴァンゲリオン』と、映画の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』とで異なるストーリーになっているのですが、そのどちらでも「渚カヲル」というキャラクターを象徴するキーミュージックとして『第九』が使われます。

渚カヲルの正体は人類の敵である”使途”の一体であり、主人公碇シンジに友人として近づいて仲を深めます。初登場時に鼻歌で歌っていたり、ウォークマンで聴いていたりなど、『第九』を好んでいる姿が数度描かれます。

そして、テレビ版では敵として主人公らを裏切り、世界の滅亡を起こしかけたところであることに気付いて、運命を委ねる形で主人公に殺されます。

劇場版では逆に世界の破滅を防ぐために自爆を選びます。

どちらも残酷な最期を遂げることになるのですが、まさにその死のBGMに『第九』が使われるのです。

右手の中の小さな白っぽいものが渚カヲル。この画像の状態で30秒近く、『第九』が流れる。

なかでもテレビ版では、一時でも友人だった相手を殺すのを躊躇するように、主人公が乗る巨大ロボット エヴァンゲリオン初号機がカヲルの体を握りしめた状態で、画面を30秒近く動かさずに『第九』だけを流す演出があります。
そしてたっぷり音楽を聴かせた後に決断を下すことで、その印象を一層強めています。

(※エヴァンゲリオンは劇中設定上人造人間ですが、未試聴の方へのわかりやすさを優先して巨大ロボットとしています。)

7-3. ”対位法”と『第九』

悲しい、苦しい、怖い、残酷などのネガティブな物語に、場違いな明るい演出を加えることでよりネガティブな印象を強めるテクニックを、映画用語で”対位法”といいます。(音楽用語の対位法とは異なります)

つい先日、ガンダムの新作で、父親が娘を守るべく『ハッピーバースデー』を歌いながら特攻死するシーンが描かれ、SNSのトレンドに入ったのもこの対位法が効果的に使われた好例です。
あるいは愉快なピエロの格好をした殺人鬼や、遊園地で子供のはしゃぎ声を背景に別れ話をするメロドラマなども、明るさの演出を容姿やロケーションで行った対位法です。

そんななかでも『第九』には「大勢の人が声をそろえ、皆で歓喜を歌う」「祝祭の場や時期に歌われる」という圧倒的にポジティブな印象があるために、その真逆の破滅に併せる対位法の定番曲にされています。


上述の二作のほかにも、ブルース・ウィリス演じる主人公の刑事がテロリストの強盗事件に巻き込まれる映画『ダイ・ハード』では、テロリストが金庫破りに成功するシーン。沢尻エリカ演じる整形美人の主人公が整形の苦痛に狂い破滅する映画『ヘルタースケルター』では、主人公の精神が決定的な破綻を果たすシーン。
特撮ヒーロードラマ『仮面ライダービルド』では、悪役の人類滅亡計画が進行する契機のシーン。同じく特撮ヒーロードラマ『ウルトラマンタイガ』では、悪役宇宙人が強力な怪獣を生み出したシーン。
大河ドラマ『麒麟が来る』では、武将の松永久秀が自害する回の予告などなど……。

『歓喜の歌』をBGMにすることで、そこで描かれる破滅がより浮き彫りにされるのです。

7-4. ドキュメンタリー映画『ルートヴィヒに恋して』

一般の映画等ではギャップ狙いの扱いが多い『第九』ですが、やはり本来は喜びの賛歌です。
そして、日本においては年末の風物詩、万人に愛される『歓喜の歌』です。

そんな日本の奇祭ともいえる年末の『第九』について、韓国出身の映画監督が興味を抱き、市民合唱団を取材してドキュメンタリー映画にしました。

2019年公開の金素栄(キム・ソヨン)監督の映画『ルートヴィヒに恋して』です。

監督が移り住んだ神戸市、およびすぐ近くの姫路市で活動する市民合唱団に密着し、彼らがどんな思いで難解なドイツ語の歌を覚えて歌うのかを探ります。

素朴ですぐ隣にいる、だけれど様々な人生を送った人々が、それぞれの想いを抱いて『第九』の前で一つになる。年に一度の舞台で味わった「歓喜」に恋し、翌年も歌い継ぐ。
俳優の演技でも、プロの声楽家のそれでもない、合唱に参加する市民のありのままの姿を映画にしています。

また、新たに映画の配信が始まりました。詳細は映画公式ホームページを是非チェックしてみてください。

映画公式サイト
動画配信はこちらから

8.まとめ

ここまで読んでいただきありがとうございます。『第九』の基本情報とこぼれ話、いかがでしたでしょうか。

多くの音楽に影響を与えた革新性、オレ様な作曲家ワーグナーを惚れさせた歴史、世界の象徴的な扱い、ギャップ狙いで使われちゃうちょっと可哀そうな面、なんだかんだ世界中の人に愛されていること……『第九』は多くの人に聴かれ、歌われるうちに、様々な姿を見せてくれました。

この記事を通じてもっと『第九』が面白く、楽しく、大好きになってもらえたら幸いです。


クラシックの本棚


オペラハーツの編集とライターを兼任。 小中でピアノ教室に通い、中高では吹奏楽部で打楽器を担当した程度の演奏経験。 クラシック以外にロック、EDM、ボカロ、ゲーム音楽なども好んで聴く。

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