ヴェルディ渾身の人間ドラマ、オペラ『リゴレット』~あらすじや曲を紹介~

6.ジュゼッペ・ヴェルディ

ヴェルディの肖像、1867年撮影
出典:Wikimedia Commons


イタリア・オペラの大作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ(正式名:ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ)。

オペラ『リゴレット』はヴェルディ16作目のオペラで、30代後半円熟期の「中期三大傑作」の1作目です(2作目は『イル・トロヴァトーレ』、3作目は『椿姫』)。この作品は、渡された台本をオペラ化していた下積み時代から脱し、本当に表現したいものに出会って独自の作風を確立していく幕開けの傑作となりました。

オペラ『リゴレット』初演はかつてない成功を収め、「イタリアのヴェルディ」から「世界のヴェルディ」への名声を獲得。ヴェルディ自身にとっても、生涯で数少ない初演での満足を得ることができた作品だったと言われています。

数年のうちにヨーロッパ各国はもちろん、アメリカ、南米でも上演し大喝采を浴びました。中でも1857年パリ初演の際、台本の改変に不満を持っていた原作者のヴィクトル・ユーゴーが観劇して絶賛し、以後は熱烈なヴェルディ・ファンになったという有名なエピソードも。

ヴェルディの生い立ちなど、詳しくは「作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ」も併せてご覧ください。



ヴェルディとオペラ『リゴレット』にまつわる略歴

[1813年 0歳]
10月10日、現北イタリアのレ・ロンコーレに生まれる。

[1832年 19歳]
ミラノの音楽院受験で不合格、ミラノで個人レッスンを受ける。
11月22日、ヴィクトル・ユーゴーが戯曲『王は楽しむ』をパリで初演、上演禁止に。

[1839年 26歳]
初のオペラ『オベルト』をミラノ・スカラ座初演。

[1844年 31歳]
3月9日、ユーゴー原作のオペラ『エルナー二』、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場初演。台本作家フランチェスコ・マリア・ピアーヴェとの初協働。

[1848年 35歳]
後に妻となるジュゼッピーナ・ストレッポーニとパリで同棲。
3月18日、パリの二月革命を受けてミラノ蜂起勃発、ミラノに臨時市政府樹立。
8月5日、オーストリア軍に鎮圧されミラノ臨時市政府崩壊。

[1850年 37歳]
4月28日、ユーゴーの戯曲『王は楽しむ』のオペラ化をヴェネツィア・フェニーチェ劇場に打診。
11月11日、フェニーチェ劇場が検閲局にオペラ『呪い』(『リゴレット』)の台本提出。
12月1日、検閲局から台本が拒否される。
12月中旬、ピアーヴェが台本を改変、検閲局承諾。
12月30日、台本の決定稿完成。

[1851年 38歳]
1月14日、オペラのタイトルを『リゴレット』に変更。
1月26日、検閲局が台本を許可。
3月11日、オペラ『リゴレット』フェニーチェ劇場初演。中期三大傑作1作目。

[1853年 40歳]
1月19日、オペラ『イル・トロヴァトーレ』ローマ・アポロ劇場初演。中期三大傑作2作目。
3月6日、オペラ『椿姫』ヴェネツィア・フェニーチェ劇場初演。中期三大傑作3作目。

[1857年 44歳]
1月19日、パリ・イタリア座でオペラ『リゴレット』初演、ユーゴーが絶賛。

[1861年 48歳]
イタリア統一、国会議員に選出される。

[1871年 58歳]
12月24日、オペラ『アイーダ』カイロ初演。

[1893年 80歳]
2月9日、最後のオペラ『ファルスタッフ』ミラノ・スカラ座初演。

[1901年 87歳]
1月27日、卒中により他界。


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神保 智 じんぼ ちえ 桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コース声楽科在学中。子どものころから合唱団で歌っていた歌好き。現在は音楽大学で大好きなオペラやドイツリートを勉強中。

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