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無垢な愛が奏でる官能と戦慄、R.シュトラウスのオペラ『サロメ』〜あらすじや曲を紹介〜

6. リヒャルト・シュトラウス

ガルミッシュでのリヒャルト・シュトラウス(1938年)
出典:Wikimedia Commons


リヒャルト・シュトラウスは、後期ロマン派を代表するドイツの作曲家であり、指揮者です。父はミュンヘン宮廷楽団の首席ホルン奏者、母は現在も続く大手ビール醸造所の娘でした。

映画『2001年宇宙の旅』(1968年公開)で有名な交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』(1896年作曲)や、交響詩『英雄の生涯』(1898年)など、先に管弦楽の分野で名声を得ました。

オペラへの関心を強めたシュトラウスが初めて成功を手にしたオペラが、1905年に初演した3作目の『サロメ』です。その後も『エレクトラ』、『ばらの騎士』など、優れたオペラを数多く生み出していきます。

妻はソプラノ歌手のパウリーネ・デ・アーナで、恐妻家としても有名でした。しかし、パウリーネとの結婚生活を描いた交響曲『家庭交響曲』や美しい歌曲が多数あり、シュトラウスが深く妻を愛していたことが分かります。


リヒャルト・シュトラウスの略歴

[1864年 0歳]
6月11日、ドイツのミュンヘンに生まれる。

[1870年 6歳]
小学校入学。歌曲やピアノ曲、管弦楽曲を作曲。

[1876年 12歳]
初出版作品『祝典行進曲』作曲。

[1882年 18歳]
ミュンヘン大学入学。翌1883年退学。

[1885年 21歳]
マイニンゲン宮廷楽長ハンス・フォン・ビューローの指揮代理となる。ブラームスと知り合う。

[1887年 23歳]
パウリーネと出会う。

[1888年 24歳]
出世作となる交響詩『ドン・ファン』作曲。

[1889年 25歳]
ワイマール宮廷劇場副楽長に就任。交響詩『死と変容』作曲。

[1894年 30歳]
初のオペラ『グントラム』初演。パウリーネと結婚。

[1895年 31歳]
交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』作曲。

[1896年 32歳]
ミュンヘン宮廷歌劇場楽長就任。交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』作曲。

[1901年 37歳]
オペラ『火の危機』初演。

[1903年 39歳]
交響曲『家庭交響曲』作曲。

[1905年 41歳]
オペラ『サロメ』初演。

[1909年 45歳]
オペラ『エレクトラ』初演。

[1911年 47歳]
オペラ『ばらの騎士』初演。

[1916年 52歳]
オペラ『ナクソス島のアリアドネ』初演。

[1933年 69歳]
ナチス政権下の帝国音楽局総裁に就任。

[1935年 71歳]
帝国音楽局総裁を辞任。

[1940年 76歳]
12月14日、東京歌舞伎座で管弦楽曲『日本祝典楽』初演。

[1942年 78歳]
最後のオペラ『カプリッチョ』初演。

[1945年 81歳]
ガルミッシュ(ドイツ)で終戦を迎える。

[1948年 84歳]
歌曲集『4つの最後の歌』作曲。

[1949年 85歳]
9月8日、ガルミッシュで死去。


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神保 智 じんぼ ちえ 桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コース声楽科在学中。子どものころから合唱団で歌っていた歌好き。現在は音楽大学で大好きなオペラやドイツリートを勉強中。

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