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チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』 作家とクラシック音楽の関係〜 小説を彩るクラシック#8

ブコウスキーとクラシックと信仰と

レコードやCDといった形で所有し、聴く場面や、コンサートに出かけるシーンはなく、ブコウスキーは、もっぱらラジオでクラシック音楽を聴きます。
二階の自室に閉じこもり、その音楽と親密に溶け合います。それはどこか宗教的で、信仰のようなものを感じさせます。

信仰───クラシック音楽ロック音楽に違いがあるとすれば、それは信仰と共感ではないでしょうか? 今でこそ大きな会場で演奏会が行われるクラシックですが、その起源はキリスト教の聖歌から。神へ捧げるものという意味合いが強かったと思います。

ロックの起源は黒人霊歌からとされています。奴隷としての生活を強いられた人々が苦しみを解放するために歌った「歌」だからこそ、その歌には力があり、人を震わせ、共感させる力が宿っています。

黒人霊歌はブルースやR&Bとして発展していき、ロック&ロールと呼ばれるスタイルが登場した後は、マスに発展を遂げ、現在では世界中でフェスティバルが行われるほどになっています。

ブコウスキーについて考えてみましょう。彼は「作家としての自分」を信じています。

作家たちの中には、過去に自分の読者を喜ばせたものと同じものを書きたがる者もいる。それでそいつらもおしまいになってしまう。ほとんどの作家にとって創造力に満ち溢れた期間は短い。彼らは称賛の言葉に耳を傾け、それを信じ込んでしまう。書かれたものに最後の判断を下すのはたった一人しかいない。それは作家自身だ。作家が評論家や編集者、出版社や読者の言うがままになった時は、もう一巻の終わりだ。~中略~新しい一行はそのどれもが始まりであって、その前に書かれたどの行ともまったく関係がない。毎回新たに始めるのだ。

ここに神聖なものはないが、と語りこう結びます。

自分自身でやめようとしない限り、人にやめさせるものは何もない。ほんとうに書きたいと望んでいる者がいるとすれば、彼はそうするだろう。拒絶や嘲笑は彼を逞しくするだけだ。そしてその人間が自らを押しとどめている期間が長くなればなるほど、ますます強くなっていく。ちょうどダムに堰き止められる大量の水のようなものだ。書くことによって失うものは何もない。書くことで、眠っている時にも気力が充実するようになるだろう。虎のような足どりで歩くようになるだろう。瞳を熱く燃え上がらせ、死に面と向き合うようになるだろう。

この苛烈な文学感からはどこか信仰のようなものを感じることができないでしょうか? それは己の信念を貫いたベートーヴェンのようにも感じますし、誰にも媚びることのない精神性はマーラーのようにも感じます(マーラーは敵を作る天才ともいわれていたようです)。

彼の生き方は極めてロック的であり、作家としての精神性はクラシックの作曲家的であったともいえそうです。それは絶対に譲ることのできない「無頼」の精神と、狂気じみた芸術への信頼のように思えます。

ある種のクラシック音楽は孤独が似合う。この作品に触れているとそんな気分になってくるから不思議です。


参考文献
チャールズ・ブコウスキー(2002年)『死をポケットに入れて』中川五郎訳 河出文庫


小説を彩るクラシック


1982年、福島県生まれ。音楽、文学ライター。 十代から音楽活動を始め、クラシック、ジャズ、ロックを愛聴する。 杉並区在住。東京ヤクルトスワローズが好き。

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